2021年3月16日(火) 参議院 予算委員会
中央公聴会 のうち3テーマ目「内政・外交の諸課題」について
参院予算委員会は16日に中央公聴会を行い、大阪市立大学の除本理史教授が公述し、東電福島第1原発事故の賠償基準である原子力損害賠償紛争審査会の指針について、「見直しが課題だ」と強調しました。
除本氏は、指針の策定過程に被害者が参加する機会がなく、賠償の内容や金額が被害実態を反映していないと指摘。指針では賠償の対象外である「ふるさと喪失の慰謝料」が二つの高裁判決で認められたと述べました。
日本共産党の岩渕友議員は「ふるさと喪失」賠償の意義を質問。除本氏は、被災者が自然環境や住民のつながり、地域の伝統行事など暮らしを支える条件から切り離されたと指摘。「この評価が不十分だが、当事者の実感としては非常に大きな被害だ」と強調しました。
岩渕氏は、原発事故の影響による商工業者の損害について、東電による一括賠償後の「追加賠償」は、請求約1010件に対して支払い合意件数は29件だと指摘。賠償方針の決め方について問いました。除本氏は、「(同方針を)資源エネルギー庁と東電が提示した。プロセスとして問題だ」と指摘しました。
またコロナによる国民生活への影響について、日本共産党の大門実紀史議員は、ETF(上場投資信託)、国債の大量購入で株価を下支えしている日銀の金融緩和政策は「市場のあり方をゆがめているのではないか」と質問。公述人の中空麻奈氏(BNPパリバ証券)は「健全でない」と回答。物価上昇目標をやめるなどの大門氏の正常化の提案には「極めてまともな政策だ」と述べました。
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2021年3月16日(火) 参議院 予算委員会
中央公聴会 のうち3テーマ目「内政・外交の諸課題」について
○岩渕友君 日本共産党の岩渕友です。
お二人の公述人に貴重な御意見をいただきました。ありがとうございました。
まず、除本公述人にお伺いをいたします。
私は福島の出身なんです。三月十一日の予算委員会で原発事故によるふるさと喪失について取り上げました。私も、避難先にマンションを買ったんだけれども周りに知っている人は誰もいないという話ですとか、帰還困難区域の方からは代々受け継いできたお祭り、これを継承することができないという話を伺ったことがありまして、家を再建をさせたり、復興公営住宅に入居すれば終わりではないし、ふるさとというものは非常に広いなというふうにも思いました。
改めて、ふるさと喪失とはどういうことなのかをお聞かせください。
○公述人(除本理史君) 御質問ありがとうございます。
先ほどのお祭りの話というのがございましたけれども、お祭りというと、都会のお祭りとこうしたコミュニティーに根付いたお祭りと大分様相は異なっていまして、例えば神社、多くはそこの氏子であったりするような方々が集まって共同で一つのステージをつくり上げていったり、そこに集まって同じ時間、空間を共有するということによって人々の間のきずなが強化されていくというような効果を持っていたわけですね。そうした、よく詳しく見てみるとそれぞれの意味が分かってくるというようなことは、被災地域の調査をしていくと、先ほどの山菜取り、キノコのように、いろいろございます。
地域の中で、例えば賠償や復興政策の中では重視されていないけれども、実は重要だという要素が非常に幾つもあるということです。それにスポットライトを当てるために、私、あえてふるさと喪失というような言葉を作っていると。
生活再建という場合にやっぱりどうしても重視されがちなのは住宅であります。自然災害の場合には、先ほど申し上げたように、基本的には自己責任でということでありますが、原発事故の場合はこれ人災だというところで東京電力のその賠償がある。ただし、ある人はあるということですね、避難指示区域の場合はある。けれども、家だけ再建しても元の暮らしが戻るわけではないということなんだろうと思います。
じゃ、何が大事なのか。例えば、家だけ建ってもその周りの人たちとのつながりが切れてしまえば、当然日常の生活が営めないでやっぱり孤立化していってしまうというようなことありますし、ですから、人々の間のつながり、コミュニティーと言ったりしますけれども。
避難元で例えば農業をやっていたような場合は、個々の農地だけ管理していても駄目で、用水路みたいな、みんなで共同作業することによってそれぞれの個別の農家のなりわいが成り立つという、共同集落の共同作業というのは重要な位置を占めていました。これもコミュニティーの役割ということになります。それから、豊かな自然の恵みだとか伝統や文化、こういうことについては今申し上げたとおりです。
こうしたものについての評価が非常に不十分だというのがありまして、ただ、当事者の実感としては非常に大きな被害なので、このことをふるさと喪失という形で、あるいはふるさとの剥奪という形で論じてきたということでございます。
○岩渕友君 ありがとうございます。
続けて、除本公述人にお伺いします。
原発事故による商工業の営業損害賠償について、その実態を私も国会の質問の中で取り上げてきました。
二〇一四年に今後の賠償方針が示されると商工団体などから反対の声が上がって、翌年、二倍一括賠償という方針が示されました。けれども、特に避難指示区域外では、二倍どころか一倍とか、支払われないという事業者の方が多くいらっしゃって、追加の賠償についても一月末時点で約千十件の請求に対して二十九件しか行われていないということが東京電力からの資料で明らかになっています。損害があるのに賠償が打ち切られているということなんですよね。賠償が被害の実態と合っていないというふうに考えています。
さらに、賠償の方針の決め方にも問題があるというふうに思うんですけれども、公述人の御意見をお聞かせください。
○公述人(除本理史君) 営業損害の賠償の終期、打切りの時期に関しましては、資源エネルギー庁と東京電力が、これは商工業者に提示するという形で設定をされたという経緯があります。これは二〇一四年以降の経緯があります。
これは本来であれば原子力損害賠償紛争審査会などが関与すべきところだと思いますが、そうしたことがなされないまま、エネ庁と東京電力の説明会という形で提示をされてきたということがあります。これはちょっとプロセスの問題として指摘をしておきたいと思います。
それから、被害の実態とのこと、関係でありますが、私ども、共同研究者と一緒に二〇一六年に福島県商工会連合会の会員事業者の方々にアンケート調査を実施しております。これはちょうど営業損害の賠償終期が設定された時期に当たりますが、このときの結果でありますけれども、避難指示区域内の事業者で半数、当時も休業を続けておられていたり、区域外でも例えば三七%の事業者の方が売上げが減少していたりというような結果が出ておりました。
こうした被害が継続していると考えられる下で、実態からすると、かなり拙速に賠償の終期というのが設定されたんではないかというふうに考えております。
○岩渕友君 ありがとうございます。
事業者の皆さんの実態は、今もいろいろ困難抱えているということだというふうにも思います。
それで、続けて除本公述人にお伺いをするんですけれども、原子力損害賠償・廃炉等支援機構法によって、本来であれば東京電力が払うべき損害賠償などの費用を国であるとか国民が負担する仕組みにしたということは、加害者である東京電力を救済するものであると。同時に、損害賠償の抑制につながっていくのではないかというふうに考えるんですけれども、公述人の考えをお聞かせください。
○公述人(除本理史君) ありがとうございます。
東京電力に対する救済措置ではないかというところは、私も全く同感であります。損害賠償の抑制ということでありますが、これは先ほど申し上げた三月十日の「NHKスペシャル」、除染マネーの中でも指摘をされていたことでありますけれども、賠償や除染やその廃炉などの費用がどんどん増加をしていく中で、これを、東電改革を進めるためには東京電力にそれを全て負担させることができないので、じゃ、国が代わりに乗り出してくるというような流れであります。じゃ、そうなると、国が乗り出していくにしても、とにかく総額を抑制したいという話になるのは当然かなというふうに思っております。
番組の中にも出てきていた東電改革委員会の議事録というのは私も全部読みました。その中でもはっきりとこうした賠償総額抑制へというような流れが読み取れたということはございます。
○岩渕友君 実際には抑制につながっているということだと思います。
続けて除本公述人にお伺いをするんですけれども、先ほど来、賠償の基準を示す指針の見直しの問題について話が出されています。
それで、この見直しの問題ですけれども、原発事故をめぐる集団訴訟で、その賠償の基準を、示しているその指針を上回る損害賠償が認められているというだけではなくて、被害に遭われた方々や、あと自治体の皆さんからも見直しをする必要があるんじゃないかというふうな声が相次いでいます。実態に合わない指針の見直しが必要だというふうに私も思っているんです。
改めてどうお考えかということと、そして、損害賠償請求の時効についてなんですけれども、特例法で十年に延長されましたけれども、これ再延長が行われませんでした。それで、東京電力は何と言っているかというと、時効を理由に一律に損害賠償を断ることは考えていないと、こういうふうに言っているんですね。だけど、こうした東京電力の話を聞いた方からは、じゃ、個別には賠償を拒むこともあるのかということで不安の声が上がっています。この問題についてどのようにお考えかも併せてお聞かせください。
○公述人(除本理史君) ありがとうございます。
指針の見直しにつきましては、福島先生からの御質問にもございましたけれども、私も指針の見直しというのが必要になっているというふうに考えております。
もう高裁レベルでも、ふるさと喪失や区域外の避難者への賠償の上積みを始め、原賠審のその指針とは異なる形での判断というのが、あるいはそれを基礎にしているとしても、それでは足りない、不十分であるというような裁判例というのが出てきているということでありますので、これは指針の見直しという課題の必要性を示唆しているということだろうと思います。日弁連も意見書を出しているとおりではないかなというふうに思っております。
それから、その時効の問題でありますが、私が意見書を出している避難者訴訟という、いわき支部に提起をされた裁判が今最高裁に行っております。ここで東京電力が最高裁に出している上告理由の説明書のようなものがありますけれども、これ読みますと、裁判では認められているふるさと喪失などの損害について賠償を拒んでいる内容なんですね。こうした法的利益はないんだと、存在しないというふうに主張しているので、こういう裁判で認められたことも拒否をしている。これは、裁判、法廷戦術上はそう言われればということなのかもしれませんが、だとしても、本当にきちんと対応してくれるのかなと不安を覚える方が出てくるのは全く不思議ではないなというふうに思っております。
○岩渕友君 今お話があった、東京電力がそのふるさと喪失という法益はないということを上告理由で述べているということは非常にひどいということで私も予算委員会で取り上げたんですけれども、驚きの声が上がった問題でもあります。
では、最後になるんですけれども、大庭公述人にお伺いをします。
中国による香港やウイグル自治区での人権侵害、尖閣諸島周辺での中国公船による領海侵犯が深刻な国際問題となっています。さらに、中国が海警法を施行して、私はこれ自体、国際法に違反したものだというふうに考えているんですけれども、公述人がどのようにお考えか、お聞かせください。
○公述人(大庭三枝君) おっしゃるとおりで、全てこれは、日本にとってということだけではなくて、国際社会の全体の秩序という観点からも中国のこうした様々な行動というのが懸念されるというのは、多くの方々、多くの政府の合意するところだろうというふうにお答えをいたします。私もそれに同意をするわけです。
それに対してどうするかということについては、どこの国も非常に考えあぐねているというか、それはなぜかというと、やはり今の国際社会は主権国家が併存している分権的な社会であるというのが大原則で、その上で協力するべきところや共通するところはある、対話をするところはあるけれども、結局、国内における様々な問題はその国の主権に委ねられているといった大原則があります。
そういったその大原則がある上で中国が様々なこのような行動を取るということについて、もうこれは中国に対して、こういう行動は非常によろしくないと、そういう形でかなりプレッシャーを掛けていくしかないということです。
ただし、一つ私が、何か希望じゃないんですけれども、ああ、こういう動きがあるんだというふうに思っているのは、二〇二〇年に中国は海洋権益の拡大にしても様々な意味で非常に目立った行動をするんですね。それに対する、世界中の対中警戒心というのは物すごく上がっております。中国を取り巻くその目というのは、実は東南アジアにおいても、当然日本においてもそうですけれども、ヨーロッパにおいても非常に厳しくなりつつありまして、正直なところ、そういった多方面でのある種の対中脅威論の高まりというものをこのまま放置して中国がやっていけるのかと、中国がいかに大国であってもこのような不安定な関係を各国と続けていくことができるのかということで、その観点から中国が行動を変えるということを非常に期待をするところです。
その際には、引き続き、こういった懸念材料については日本からも懸念、強い懸念を表明していくということが重要だろうというふうに考えています。
○岩渕友君 以上で終わります。
2021年3月16日(火) 参議院 予算委員会
中央公聴会 のうち3テーマ目「内政・外交の諸課題」について
大阪市立大学大学院経営学研究科教授・除本理史公述人
○公述人(除本理史君) 本日は、貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。
先日、あの三・一一の東日本大震災から十年を迎えたということでございまして、今日は、今後の復興政策の在り方を考えるという観点から、原発事故被害の問題、それから復興の現状についてお話をさせていただきたいと思っております。
私、福島原発事故の被害調査ですとかあるいは賠償、復興政策の研究を三・一一後ずっと続けてきておりまして、福島には百回以上通って調査をしてきております。今日お話しするのはそうした経験を踏まえてのことでございまして、資料の一枚目に、共同通信から配信されております短文でございますけれども、本日のお話のポイントをまとめてございますので、御覧いただければと思っております。
先ほど申し上げましたが、三・一一から十年ということで、その記憶の風化ということが懸念をされております。しかしながら、その復興の歩みというのは途上でございまして、課題も多く残されているということでございます。
福島のその被災地、原子力災害の被災地に目を向けますと、二〇一四年の四月以降、避難指示の解除が進んできておりまして、一七年の春には三万二千人に対する避難指示が解かれたということです。最近では帰還困難区域の解除ということも話題に上り始めております。しかし、その避難指示が解除されても、その住民の帰還、これ地域差ございますけれども、全体として見るとなかなか進んでいないという下では、例えば、以前よりも少ない人数で同じ面積の農地を管理していかなければならないとかいったような、様々なその地域における課題が山積をしているということです。
除染ですとかあるいは建物の解体、ハードのインフラ整備といったようなことはたくさん行われてきたわけなんですけれども、そうした中で、確かに復興しているのかもしれないけれども、風景がどんどん変わっていってしまって、まるで自分の知らない土地のようになっていくというような声も聞かれるわけですね。復旧というよりも、自分の町がなくなっていくようだというふうにおっしゃる方もいらっしゃる。
確かに、福島の復興にはいろんな新しいチャレンジをしなければいけないんですが、それだけではなくて、やっぱり地域の中のその歴史の積み重ねの延長線上に復興があるんだということですね。それぞれのその地域が培ってきたその地域の価値というのを再確認して、それを踏まえて今その復興政策のその問題点を見直していくというようなことが大事になっているんではないかということでございます。
では、どういうところに問題があるのかということですが、これは私が言っていることだけではありませんで、例えば資料の二枚目御覧いただけますと、最近の朝日の社説にもほぼ同旨のことが書いてありますけれども、私どもも財政学者なんかと一緒に復興財政の分析をいたしますと、数字上これは明らかなのですが、ハードの公共事業というのはやっぱり重点が置かれていて、被災者支援というところへの割合が非常に低いということです。これは、日本の災害復興政策全般の特徴でもありますし、これ東日本大震災における同様に特徴でもあります。福島でもそうなのであります。個人に直接届く支援施策よりも、除染やインフラ復旧、整備といったようなことが大きな割合を占めている。私どもが、二〇一〇年度から一七年度まで、ちょっと前の数字でありますが、震災復興財政のデータを見たところ、ハード関連とみなされるものが約六割、生活やなりわいの再建に関係するものが一二%程度、一割強というような比重でございました。
こういうような特徴を持った復興政策というのは、いろんなアンバランスをもたらさざるを得ないということですね。例えば、復興需要が建設業に偏っていって、雇用もそうしたところが中心になっていく。あるいは、ハードの事業が中心になって進んでいきますので、今避難指示が解除された地域では、例えば教育や医療、介護、こういった機能がやっぱりどうしても回復が遅れていると。ですので、そうしたインフラへのニーズが高い方というのはなかなか戻れない。子育て世代だとか高齢者中心に帰還しているというイメージがありますけれども、医療、介護ニーズが高い方なんかはやっぱりなかなか戻れないというような現状があります。やっぱりそこそこ自分で車も運転できて、移動の手段が確保できて、もう仕事をリタイアしていてというような方でないとなかなか戻れない。あるいは自営業者で、戻っても仕事はできるような方、場合によっては役場の方というような感じになっています。
そうしますと、避難者が戻れないと、その地元のコミュニティー相手に商売していたような小売業の事業者の方は再開が困難になるというような様々なアンバランスというのが出てきてしまうと。ですので、こうしたアンバランスを踏まえて、個々の、インパクトを受けた様々な被災者の状況に即したきめ細かな支援というのが非常に大事になってきているということであります。しかし、現在の復興政策は、この点のきめ細かな支援策という意味での側面で弱さを抱えているというふうに言えるかと思います。
福島の原子力災害の被災地の場合、個々人の生活再建というのは賠償に委ねられてきているということですね。原発事故の賠償は、原賠法という法律がありまして、無過失責任という制度がもう御案内のとおりございますので、それに基づいて東京電力は賠償してきていると。確かに、無過失責任の制度がありますので、故意、過失の立証を必要とせず、四大公害などとは違って、裁判が提起される前から東京電力の賠償というのはスタートしてきている。ただ、一方で、この無過失責任の制度が津波対策の不備に関する責任の解明というのを妨げている面もあるということも申し上げておかなくてはなりません。
原賠法に基づいて原賠審と言われる審査会の指針が出されて、それに基づいて東京電力は賠償の基準を定めていくというような仕組みになっておりますが、ただ、これには、無過失責任でスピーディーに賠償が始まったという一方で、いろんな問題点があります。
特に、その賠償の中身を決めるガイドラインである指針の策定に当たって、当事者の参加の機会がほとんどないということですね。そうなりますと、被害者から見ると、賠償の中身や金額というのは一方的に提示されてくるということになってしまいます。それから、当事者の参加が保障されていないということから、その賠償の内容とか金額がその被害当事者の納得を得られない、被害実態を反映していないというような問題が生じてきているということでございます。
特に、区域間の賠償格差とかいうようなことが非常に大きな問題になってきましたし、それから、ふるさとの喪失というふうに私が呼んできたような被害ですね、これは例えば避難元の地域での日常の生活を支えてきたもの、例えば、家があれば暮らせるというだけではなくて、周辺の自然環境との関係だとか地域の人々のつながりがあって初めて暮らしが成り立つといったような側面があったわけですけれども、そうした人々の暮らしを支えてきた周辺的な条件から切り離されてしまったということですね。これをふるさとの喪失というふうに呼んでおりますが、それがその慰謝料の賠償の対象から外れている。当事者の実感としては非常に大きなものがあるわけですけれども、賠償の対象から外れているということはございます。
例えば、原発事故の被災地では山菜とかキノコ取りといったような活動が広く行われておりました。これは住民の暮らしと非常に密接に結び付いた大切な活動でありまして、山林というのは生活圏だったんですね。これは、単に食料を得るというだけではなくて、例えばキノコ取りの名人はキノコ取りが上手であるということによって周辺の住民からそうしたステータスを確保するというような、人々の人間関係を構築する活動としても重要な意味を持っておりました。しかしながら、現在の政策上はこうした山林の意味というのが重視されておりませんで、除染がほぼ手付かずになっていると。例えば、原木シイタケの生産者というのはこうした山の汚染の影響を非常に大きく受けております。
これは、資料の三枚目のところにちょっと付けておりますが、これは福島出身の荒井広幸先生のお嬢さんたちがなさっている活動なんですけれども、あぶくま山の暮らし研究所、これ見ていただきますと、百五十年先を見据えないと元の暮らしの回復というのは展望できないというような長期的なビジョンですね、こうしたものを掲げながら活動せざるを得ないというような状況があります。こういう、ふるさとを再生していくためには何が失われたのかというものの総体をきちんと明らかにして、その重要性を確認をしていくという作業が不可欠であろうと思います。
このふるさとの喪失というものは、今全国各地で裁判が広がっておりますけれども、被害者による集団訴訟が広がっておりますが、そこでも焦点になっております。この賠償は、慰謝料の対象から、先ほど申し上げた原賠審の指針や東電の基準では慰謝料の対象から外れているのですけれども、裁判所はこれを慰謝料の賠償を行うべきであるという形で判決を出すようになってきているということです。
例えば、二〇二〇年の三月に二つ、高裁の判決が集団訴訟で出されております。これは初めての高裁判決でありますが、この二つの判決、仙台高裁、東京高裁ともふるさと喪失慰謝料の賠償を東京電力に対して命じるという判決を出しております。今全国で二〇一二年十二月以降、三十件ぐらいの裁判、原告数は一万二千人に上るような裁判が各地で提起をされ、今もう最高裁まで行っているものもあります。
全体として言いますと、温度差はありますが、先ほど申し上げたような原賠審の指針や東京電力の賠償基準では十分ではなくて、独自に判断して賠償を命じるというような判決が多く出されている。それから、国の責任についても、地裁レベルでは半々でありますけれども、高裁レベルでは、三件のうち二件が国の責任も認めるというような判決を出しているということですね。
ですので、こうしたことを踏まえますと、原賠審の指針の見直しということが課題になってくるのではないかと。これについては資料の四枚目に宮城県の新聞の論説記事を添付しておりますので、御覧をいただければと思います。
最後にまとめでございますが、今、その三・一一から十年を経たということでありまして、一人一人の生活再建と復興というところに向けて、きめ細かな支援策を継続していくということが強く求められていると。長期的な視点ということでいいますと、先ほどの百五十年というような話もございました。
その賠償の格差というのは個人間でもありまして、元々その収入や資産がない人というのは賠償も少ないので、帰還困難区域の避難者の方でも困窮されているケースがあります。こうした実情をきちんと把握をして、対応する施策をきめ細かく実施していく必要があるんではないかというふうに考えております。
復興政策は、予算規模としては減少していくと思われますので、ますますこうした施策の中身というところが問われているというふうに思っております。
以上でございます。
2021年3月16日(火) 参議院 予算委員会
中央公聴会 のうち3テーマ目「内政・外交の諸課題」について
神奈川大学法学部・法学研究科教授・大庭三枝公述人
○公述人(大庭三枝君) 本日は、参議院予算委員会公聴会で意見を述べるという貴重な機会をいただき、誠に光栄に存じます。このような機会を得られたことに心から感謝をいたします。
日本として取り組まなければならない外交的課題は多々存在しますが、時間の制約もあり、私自身がアジア太平洋の国際政治、特に地域制度や地域主義、地域協力を専門にしていることもありますので、その観点から、現代日本が心掛けるべき外交課題について私見を述べさせていただきたいと思います。
先日、我が国の菅首相、アメリカのバイデン大統領、オーストラリアのモリソン首相、インドのモディ首相が初めてQUAD、日米豪印四か国の首脳会議を開き、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて協力していくことで合意しました。また、昨年十一月、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、そしてASEAN諸国が東アジア包括的経済連携、RCEPに署名しました。
これらの事例は、日本外交において伝統的な二国間のバイの外交のみならず、多国間や地域単位のマルチの外交が重要になりつつあること、また、そのための枠組み形成に日本が積極的に関わっていることを示しています。その背景として、現在、冷戦が終結して以来、国際社会が大きく規定してきたリベラル国際秩序が動揺していることが挙げられます。
リベラル国際秩序は、自由で開かれた市場経済の一層の推進、多元的民主主義や人権保護などのリベラルな普遍的価値の優位、そして、力による現状変更ではなく国際協調や協力によって各国が問題に取り組むといった国際協調主義、この三本の柱で支えられていました。
皆様に配付した資料を見ていただくとお分かりのように、アジアにおいて様々な地域制度や枠組みが存在しています。
三枚目の図を御覧ください。二つの図があります。図一は一九九〇年代、二〇〇〇年代の約二十年間に主に発展したASEANを中心とする地域アーキテクチャーと呼ばれている小地域制度を中心にまとめたものです。実線で示された円がこのアーキテクチャーに当たります。中心的な位置を占めているのが東南アジア諸国連合、ASEANです。東南アジア十か国で構成されており、二〇一五年にはASEAN共同体の設立が宣言されるなど、アジアにおいて最も制度化が進んでいる地域制度です。そして、それを囲む形で内側の円から東アジアにおける実質的な協力を行う枠組みとしてのASEANプラス3、東アジア首脳間での共通の問題を対話する枠組みである東アジア・サミット及び防衛協力枠組みであるASEAN防衛大臣会合、これはADMMプラスと言います。最も外側の円として示されているのが、安全保障、政治対話の枠組みであるASEAN地域フォーラムです。加盟国等の詳細は注や記載を御覧ください。
このように、ASEANを中心に重層的な地域制度が形成、発展したのは、ASEANが様々な域外国を巻き込んで地域の制度化を進めていこうという戦略を推進したこと、また、それに対して域外国の側、これは日本も含めてなんですけれども、域外国の側もそうしたASEANのイニシアチブを尊重したという事情がありました。また、それはリベラル国際秩序の時代において、アジアにおいても国際協調主義が重視され、マルチで地域の問題に対処することが重視されていたことも背景にありました。
二〇一〇年代に入り、リベラル国際秩序の揺らぎが顕著になってきております。図二は、主にこの二〇一〇年代に発足、発展した新たな枠組みです。
TPP、環太平洋パートナーシップ協定は、元々アメリカが積極的に動いて二〇一〇年に交渉が開始され、二〇一六年に署名に至りました。残念ながらアメリカは離脱してしまいましたけれども、改めてアメリカ抜きで二〇一八年三月にTPP11協定が署名され、同年十二月に発効済みです。RCEP、東アジア包括的経済連携は、二〇一二年に交渉開始されました。交渉は難航し、インドの離脱などの紆余曲折がありましたが、冒頭に述べたとおり、昨年十一月に署名されました。
これらは、レベルの違いはあれども、共に貿易投資の自由化を包括的に促進し、国境を越えた生産ネットワークの拡大、深化によって発展するための共通の経済ルールの設定をしたという意義がございます。QUADも近年活発化し、二〇一九年に外相級の会合が開催され、冒頭に述べましたように首脳会議も最近開催されました。また、日本などからは自由で開かれたインド太平洋、FOIPが提唱され、現在に至っております。
リベラル国際秩序の揺らぎの時代とされているこの十年間は、一般的にはマルチの後退、多国間主義の後退が起こったというように指摘がされています。ブレグジットやアメリカのトランプ政権のTPP離脱はその例だとされます。
しかしながら、興味深いことに、アジアにおいて、むしろ図二に見られるように様々なマルチの動きがこの時代に活発化しました。これは、米中間のパワーバランスの変化、米中対立の激化といった事態を受けて不透明化する地域環境の中で、日本を含めた各国がリスクヘッジのためにマルチ外交をむしろ推進したということによるものです。日本もTPP、RCEPの妥結に大きく貢献しましたし、FOIPの提唱やQUAD連携にも努めてきました。
このように、マルチの枠組みを活用した外交は、アジア太平洋における国際政治において重要度を増しています。また、日本も自国及び地域全体にとって長期的に望ましい地域秩序を構築していく際、マルチ外交を重視するようになっています。
しかしながら、一般的には二国間の伝統的なバイの外交を重視する言説も多々見られます。国際政治学の観点からすると、マルチ外交の効用は主に二つあると考えられます。一つは、共通のルールや制度、枠組みによって規定されるマルチ外交においては、超大国や大国の一方的かつ一国主義的な行動を一定程度抑止し得るということです。そして、二つ目として、外交交渉上、イシューリンケージがしにくくなるということです。イシューリンケージとは、例えば安全保障の懸案で対立があるときに、通商政策上の圧力を掛ける、あるいは通商政策上の妥協策をちらつかせて自国の言い分を通すといった異なる外交課題を結び付けて交渉するという、特に国力で大きな差のある二国間で外交が展開されるときに起こりがちなことがマルチでは抑制され得るということです。
日本は、これら重層的に展開する地域制度を並行して活用して、協力や推進を進める多層的なマルチ外交を行っていく必要があると思います。特に強調したいのは、国際秩序が動揺し、米中対立の先行きが見えず不確実性が一層高まる時代にあって、米中それぞれのリスクヘッジをすべきであって、その際のツールとしてマルチの枠組みが重要であるということです。
習近平体制下の中国は、一帯一路等を標榜し、東南アジアを始めとするあの幅広い世界の諸地域に対する経済的な影響力を強め、政治的影響力の強化につなげています。日本と尖閣諸島をめぐっては深刻な対立がありますし、南シナ海における権益拡大の動きも地域環境の安定化にとって非常に深刻な懸念を投げかけています。
ただ、ここで確認しなければいけないのは、中国は日本にとって重要な隣国でもあり、この国との関係を決定的悪化させてはならないと、それは避けねばならないという現実です。そして、二〇一〇年をもって中国の名目GDPが日本のそれを追い越し、その差が拡大していることに表れているように、残念ながら日中のパワーバランスは逆転しています。こうした状況では、日本が単独でできることは限られます。よって、中国に対して様々なマルチの枠組みを使い分けつつ対処する努力が必要となります。
前述のQUAD首脳会議で言及された包含的、インクルーシブなQUAD、あるいは自由で開かれたインド太平洋の連携の強化を通じて、中国に対して様々な懸念を持つ国々と望ましい地域秩序の在り方についての認識を共有し、並行してプラグマティックにインフラ整備やエネルギー関連協力、環境、コロナ対策といったような、ワクチン、ワクチン協力といったような、そうした様々な協力を行っていくことは非常に重要です。
その一方で、日本は、RCEPやTPPといったアジア太平洋、東アジア地域全体の発展を目指すための共通ルールの設定にも深く関わってきました。中国はRCEPに参加しています。中国も地域全体の経済ルールを共有したという点で重要です。また、習近平国家主席がTPP参加の可能性について言及したことも注目されます。
このように、中国に対しては、様々なマルチの活用を通じ、その権益拡大に対して牽制を掛けるとともに、一定の関係を維持しつつ、地域の共通ルールにも巻き込んでいくといった多彩な戦略を取っていく必要があります。
また、アメリカの動向に鑑みても、日本にとってマルチ外交は重要になってきています。バイデン政権は、現在のワシントンの超党派的な対中強硬論も背景にあり、中国との長期的な戦略的競争を展開する姿勢を示しています。前トランプ政権と比べ、多少のアプローチの変更はあれども、その姿勢は今後も当面は維持していくでしょう。
ただ、国内における深刻な社会的分断、格差の拡大、財政上の制約等によりアメリカの超大国としての実力はかなりそがれている上、前述の中国の台頭により相対的にも低下しています。よって、アメリカが今後どこまでアジア国際秩序の維持にコミットするかについては、長期的な観点から注視する必要があります。アメリカがもはや世界の警察官ではないという立場は、中東政策に絡めての言説ではありますけれども、既にオバマ大統領が口にしていたことです。
日本としては、アメリカとのバイの関係の強化とともに、アメリカをも巻き込みつつ、戦略的利益やあるべき地域秩序像を共有する他の国々との連携を深めていくことが肝要です。この意味で、QUADやインド太平洋は重要な枠組みとなり得ます。また、TPPへのアメリカへの復帰は簡単ではないと思いますけれども、粘り強く働きかけていく必要があります。
さらに、中国やインドといった大国、地域大国の台頭のみならず、ASEAN諸国も発展を遂げ、地域秩序の在り方を決定付ける重要なアクターとなっていることに目を向ける必要があります。
よく米中の影響力拡大の草刈り場としてのみASEAN諸国を見る見方がなされますが、このような認識は、この地域のより複雑な現実を看過することにつながります。東南アジア、東アジア情勢は、米中からの働きかけで一方的に決定付けられるものではなく、ASEAN諸国それぞれの国益の観点からのアメリカと中国の働きかけにどう対応するかということにも大きく左右されています。
こうしたASEAN諸国との連携を深めていくためには、個々の国との関係維持強化とともに、中小国連合としてのASEANが地域制度の中心として機能してきたことをより重視し、ASEAN統合により一層貢献するとともに、ASEANを中心とするアーキテクチャーの活用を今後も一層図っていく必要があります。
最後に挙げたいのが、公正で持続可能な社会の存立を各国内で可能にする地域秩序という観点から日本がなすべき貢献をしていくことの重要性です。
例えば、TPPやRCEPによって促進される国境を越えたサプライチェーンの拡大、深化によって、そうしたサプライチェーンに参入し得た経済アクターや地域とそうではない経済アクターや地域との間の格差は当然開くでしょうし、また、競争の激化によって環境など公共の利益を損なう事態も引き起こしかねません。よって、こうした課題に対処するため、TPPやRCEPには公正かつ持続可能な発展を実現するための共通のルールを一層強化することが重要です。TPPには既に労働者の人権やその環境への配慮に関するルールが盛り込まれていますが、一定程度盛り込まれていますが、それを一層強化していくこと、またRCEPにも新たにそうしたルールを盛り込んでいくことが挙げられましょう。
地域全体が揺らいでいるときに特定の国との関係を個別に考える発想は限界があります。今後の日本にとって望ましい国際環境の維持のためには、二国間で関係を調整するという線の発想のみならず、地域全体そして国際社会全体の秩序の在り方そのものを自らにとって望ましいものにするという面の発想が一層重要になってきているというふうに考えます。
これで終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。