「お互いに若い頃、彼女は福島で、私は青森で、民青(民主青年同盟)の県委員長として青年運動で一緒にがんばってきた仲です」と、岩渕さんのことを紹介してきました。といっても、もう10数年前の話ですから記憶はあいまいですが、とにかく苦労も多かった分、他県の経験であっても教訓を必死でくみとる毎日だったように思います。東北の県委員長は、東京で会議をすると帰り道が一緒だったこともあり、いろいろなことをよく語り合ったものです。
この機会に、岩渕さんと一緒に民青の県委員長だった時期を調べてみました。岩渕さんが民青同盟の中央委員に初めて選出されたのは2005年11月の民青32回大会。私はその大会で卒業していますから、中央委員として一緒に活動したことはなかったようです。岩渕さんはこの大会の前に県委員長をされていたので、一緒に県委員長をやった期間は、長くても1年ぐらいということのようでした。短い期間だったにも関わらず、「一緒にがんばってきた」と私が思い続けてきたほど、当時の岩渕さんと福島の民青同盟の活動から学ぶことが多かったんだと思います。
この民青の大会で、福島の青年が発言しています。現・党福島県委員会書記長の野口徹郎さんです。当時、青森の三沢で、日本平和委員会が青年向けにピース・エッグという集会を開きました。野口さんはこれに参加し、人生が百八十度変わったそうです。「少し前まで引きこもっていた」という彼が、ピース・エッグをきっかけに民青に加盟し、毎日楽しく青春を謳歌する日々だと経験を報告しています。野口さんをピース・エッグに誘ったのが岩渕さんだということも発言されています。当時、私は、青森で実行委員に加わっていましたが、もしかしたら初めて岩渕さんと言葉を交わしたのは、このピース・エッグだったかもしれません。岩渕さんは覚えてるかな?
このエピソードを紹介したのは、岩渕さんとの縁を感じたこともあるんですが、それ以上に、青年の人生を百八十度変えるような影響力をもつ一言を発する岩渕さんの魅力を物語るエピソードだと思ったからです。私の印象では、岩渕さんはあまり多くを語るタイプではありません。頭からバンっと何かを押し付けるという感じでもありません。でも、青年の生き方を励ます一言を持っている。岩渕さんはそういう人だと思います。
震災後、岩渕さんが国政候補になったときに作成したパンフに、被災者の声に耳を傾けている写真が掲載されていました。民青時代、岩渕さんの活動姿勢から学んだ中心的なことを思い出しました。相手の話にとことん耳を傾け、心を寄せる。私が岩渕さんを信頼するのは、このぶれない姿勢です。
私は4月の選挙で初当選し、青森県議としての生活が始まっています。慣れないことも多く、力不足を感じることもあり、あたふたしています。国会議員になった岩渕さんは、私以上に苦労があったと想像しますが、それを乗り越えてがんばる活躍はさすがだなと思っています。今後のさらなる活躍を願ってますし、いろいろ相談させてください。これからも、ともにがんばりましょう。