2021年4月14日(水) 参議院 国民生活・経済に関する調査会
3年間を通じたテーマ「誰もが安心できる社会の実現」のうち、2年目のテーマ「困難を抱える人々への対応」のうち、「社会的孤立をめぐる課題」について 参考人質疑
参院国民生活・経済に関する調査会は14日、「困難を抱える人々への対応(社会的孤立をめぐる課題)」について参考人質疑を行い、日本共産党の岩渕友議員が質問に立ちました。
岩渕氏は、東日本大震災・東電福島原発事故後の災害公営住宅での高齢化率の高さを示し、災害時に孤立しないために必要なことについて質問しました。東京都健康長寿医療センター研究所の藤原佳典部長は「全世代型のコミュニティーをつくっていくことが大事」と答えました。
また岩渕氏は、家族の介護や身の回りの世話などを担っている18歳未満の子ども(=ヤングケアラー)の問題に関して、介護を受けたくても受けることができない実態もあると指摘。「それによって介護離職せざるを得なくなったり、両親に代わって子どもたちが介護を担うことになる」「介護制度そのものをもっと充実させることが必要」と主張しました。
成蹊大学の澁谷智子教授は、「家族の中に健康な人がいて、その人が世話できるというイメージが根強い。それは本当にそうだろうか」として、「(介護制度を)もっと充実した方がいい」と応じました。
(ボタンをクリックやタップすると議事録が開きます)
2021年4月14日(水) 参議院 国民生活・経済に関する調査会
3年間を通じたテーマ「誰もが安心できる社会の実現」のうち、2年目のテーマ「困難を抱える人々への対応」のうち、「社会的孤立をめぐる課題」について 参考人質疑
─────────────
東京都健康長寿医療センター研究所 社会参加と地域保健研究チーム研究部長・藤原佳典参考人 意見陳述
○参考人(藤原佳典君) ありがとうございます。
それでは、私の方からは、困難を抱える人々への対応、特に社会的孤立の問題を、高齢者のフレイル対策あるいは認知症対策の側面からお話をさせていただきたいと思います。本来ですと、医学的な側面とか臨床的な側面というものにお時間を割いてもよろしいんですが、今日は限られた時間ということで、地域づくり、地域施策の側面からこの二つの課題をお話をさせていただきたいと思います。(資料映写)
今日は、この全世代三方よしの地域づくりと大きく書いておりますが、高齢者のいわゆる地域包括ケアというのが今全国で進められておりますが、その大きな柱というのが認知症対策とフレイル対策でございます。これをうまくコントロールしてやっていくと、実は高齢者だけではなく全世代の三方よしの地域づくりができるんではないかという、そういう仮説の下に私どもは研究を進めておりまして、御覧のように、SDGsの十七つの項目のうちに、こういったコミュニティーの対策をするだけで、まあ九つですね、うまくやれば達成できるんではないかなということで考えております。
今日お話しさせていただきたいテーマは大きく二つございます。一つが、認知症・フレイル対策の基本というのが、これは実は社会参加、社会交流であるといったようなお話。二つ目が、では、その社会参加の場をどうつくっていくのかといったところで、やはり持続可能な地域づくり、社会参加の場ということを考えました場合に、高齢者による高齢者のための高齢者だけの場づくりというのはやはりいろんな意味で限界がございます。そういった意味で、この全ての世代に三方よしということの事例を御紹介したいと思います。
余談ではございますが、私どもの施設といいますのは、この設立者が渋沢栄一でございまして、東京都養育院という、彼が終身局長をやったといったような、まあ今でいいます地域共生社会を初めてつくった当人が最後まで仕事を全うしたところでございます。彼が、いろんな仕事の面でも、あるいは福祉推進、教育推進の面でもモットーとしておりますのが、彼が近江商人から学びました三方よしの精神ということでございまして、恐らく、私の考えからしますと、地域づくり、特に介護予防、フレイル予防、認知症対策、これも三方よしでこの地域づくりが全うできるんじゃないかなというように考えております。
まず最初でございますが、そもそもこのフレイルとは何かということなんですが、何となくこう、体力が弱って加齢とともに少しずつ衰えていくというようなイメージでございますが、一つは要介護状態のちょっと手前の段階のことを指しております。全くこう、独力ではちょっとやるのが厳しい、今までよりは時間が掛かったりとか複雑な作業はちょっとしにくい、でも、まだ要介護認定を受けるまでには至っていない、あるいは要支援と健常の間を行ったり来たりするぐらいのレベルの方でございまして、大体、全国調査いたしましても、こういうレベルの方が約全国の一〇%、高齢者の、六十五歳以上の一〇%ぐらいいらっしゃるということが明らかになっております。
この方々がどうなるかといいますと、通常、ナチュラルコースでは、大体五年間経過観察しておりますと、約半数、五〇%の方が要介護まで進んでしまうということが分かっておりまして、逆に約一五%の方は五年間でまた健常に回復するということも分かっております。そういう意味で、このフレイルというのは、あくまで老化現象の一方通行ではなくて可逆的なもの、何らかの手だてによってまた一時的にも改善するんだというところが大きな特徴でございます。
こういったそのフレイル、先ほど申しましたように体が虚弱なイメージがあるんですが、実は体だけの問題ではなくて、多くの方が認知機能の低下というものを合併しております。大体四分の一ぐらいの方が、どうも軽度の認知機能の低下も合併しておられたり、あるいは中にはうつ症状を合併されたりといったように、特に高齢になってきますと、体だけが元気とか、あるいは認知機能だけが正常で体は駄目とかいったような、そういう方って案外少なくて、悪くなるときは両輪、悪循環していくというようなことになりますので、今日申しますフレイル対策というのは、基本的には頭だけとか体だけではなくて、まあ三種盛りですね、栄養、運動、社会参加、こういったものを盛んにすることによって、全て、総合的にアプローチしていくということが重要になってくるというのが大きなポイントでございます。
その中で、この社会参加の意義でございますが、これは老年学のモデルでございますが、我々人間は七つのステージの能力から成り立っているというふうに米国の学者が説いております。これは、例えば一番基本的な能力というのはこの生命誕生あるいは生命維持、その次が一つ一つの体のパーツが機能していく、そしてもう一つの高いレベルといいますのは五感がしっかり備わってきまして、また身の回りのことがそつなくできるようになってくると。で、子供の発達でいいますと、もう少し発達してまいりますと、短時間のお留守番ができたりとかお使いができたりといったようなもの、これが手段的動作能力、IADLと呼んでおります。もう少し成長してまいりますと、親の言ったことをそのままうのみにするだけじゃなくて、自分で機転が利くようになったりとか知的好奇心が芽生えて、さらに、家庭の内外で役割を持って立派な成人になっていくという、これが成長のパターンでございます。
これ、ゆっくり峠を下りていくのが老化現象でございまして、今まで役割を持っていた方が、それがなくなってしまうとてきぱき行動するような必要がなくなってくると。そうなってくると、今度はだんだん身の回りのものが不自由になってきて、フレイルな状態になり、要支援になり、要介護になっていくというのが世の常でございます。
そういう意味では、できるだけこの役割を維持していただくということが理論的にもあるいは追跡研究なんかでも明らかになってきているところでございますが、じゃ、実生活においてフレイルな方の生活というのは、社会生活というのはどういうイメージなのかということを、社会参加と照らし合わせて見ていただきたいと思います。
我々の社会参加のステージといいますのは、それぞれの責任とかあるいは社会的な背景によって、高度な方から割とイージーなものまで徐々にスライドしております。一番元気でアクティブな方というのはまだまだ仕事をされている方も多いですし、また、原則有償の活動というのが気が重くなってくると、今度はボランティア活動とか地域活動。そして、人様のための活動がしんどくなってくると、自分のための趣味とかあるいは健康づくり、あるいはお稽古事といったような活動になってくる。そうしたボランティアとか趣味、お仕事といったような団体活動とかあるいは組織活動といったものがしんどくなってくると、今度は自由気ままなお友達付き合いとか親戚付き合いというようになってくるということで、この赤線のように、少しずつ平易になってくるわけですね。
じゃ、フレイルな方はといいますと、大体、団体活動はもう大分しんどくなってきて、ちょっと引退すると。でも、まだ要支援、要介護にはちょっと早いかなというような方で、自由気ままに御近所付き合いはできるよといった、こういうレベルの方をイメージしていただければと思います。
フレイル対策といったときに二通りありまして、もう既にフレイルになっている方の重症化を予防するという意味での、この赤線の枠への対応と、そもそもこのフレイルな状態にならないための対応はということになってまいりまして、より上位の、より早期からの予防ということになると、できるだけ社会参画活動を維持していただくと。それができなくなってくると、少なくとも外出とか交流といったような個人的な社会交流というのは維持しましょうという、こういう二段構えが考えられるかと思います。
そういった中で、まず、じゃ、一番高いレベルの就労、これも実はフレイル対策とか認知症対策とも関係しております。私どもは、いろんな研究、特に就労支援の研究をしておりまして、大方、働く、高齢者は働いていると健康にいいよというような研究というのは多くあるんですが、我々は、この働き方とかあるいは働く目的、動機というものが大事だと思っております。
これは都内で以前調査した結果なんですが、就労していらっしゃる高齢者の方だけを二年間追跡した結果なんですが、この縦軸の左のピンクのグラフは主観的健康感といいまして、全身の、自分での総合評価、自分は全体的に健康だと思えているかといったようなところなんですね。右側が生活機能の悪化ということで、いずれもグラフが長い方がリスクは高いということでございますが、同じ働いている方も、やはり金銭だけを目的の方、生きがいとか全く持たずにお金のためだけ働いている方というのは、ほとんど幾ら働いていても心身の健康への予防効果がないということが分かってまいりました。
そういうことでは、やはり雇う側も雇われる側も生きがいを持ってこそ仕事、高齢期の仕事ということになりまして、じゃ、どういう仕事がこれから高齢期の働き方で重要かということを、我々は研究会を通しまして様々な勉強の中、ある一種の知見をいただきました。
一つは、やはり高齢者が直接感謝されるような働き方がいいんだということをこれ当事者からも伺っております。やはり働くことによって、これも三方よしでございまして、雇用主にもハッピー、あるいは同僚、若い同僚もハッピー、そして地域社会にも良いというような、やはりこの三方よしが実現できている場、これが、一番身近で長く働ける場というのが地域での福祉領域での就労だというように考えております。
実際、家事とか介護とか育児とかで、ワークをシェアをしながら高齢者がアシスタントとして資格を持たずに働いている領域というのは多々ございまして、例えば介護助手というのも代表でございます。こういったものは、このコロナ禍でも比較的規則正しくお仕事されていたりといったことで、近所で長く働ける。そして、初めは自分の心身の健康のためでございましたが、やはり福祉領域で働くということは、それ自身が将来の自分を見据えたりとか、あるいは福祉というものへの理解を発生したりということで、予防を入口として、共生につながるものではないかなというように考えております。
逆に、最近は、働く、デイサービスとかあるいは就労するということを福祉の領域でも進めておりまして、これは私が支援しております京都市内のデイサービスでございますが、デイサービスの利用者の方に作業をしてもらうと。で、その作業というのは、京都ですから、やすりで神社の絵札を磨いたりとか、あるいはまないたをきれいに磨いたりということで、その作品をちゃんとおしゃれなブランディング化しまして、単に福祉工房でやるんじゃなくて、ブランド化して、ロハス、エコの店で置いてもらったりというようなことをしているというようなところで、認知症の方なんかも長くできると。
つまり、認知症を、共生しながらも、さらに生活の機能を維持できるといったような、共生が入口で予防に役立っている場合という、これもこれからの認知症対策の新しい姿だと考えております。
続きまして、社会参加の場というのは、やはりこの就労だけではなくて、特に自主活動、自主団体活動というものがございます。これはやはり全世代で三方よしだということをお話ししたいと思います。
これは、いつも私が地域包括ケアシステムを特に自治体の職員の方なんかにお話しするときなんですが、大体、それぞれの市町を守るもう最後の籠城戦を乗り切るための戦略ですと、そのためには、お城と同じで内堀と外堀がございますと。で、その内堀というのが最後のとりでで、いわゆる医療・介護連携というものでございまして、むしろこの外堀が重要だと。これが住民さん主体でできるような介護予防ですとか、あるいは生活の支援といったところで、この外堀を掘らず、内堀だけ掘っておりましても、結局は医療崩壊、介護崩壊が起こってくると。たくさんの高齢者の方が悲鳴を上げて入ってくると幾ら精鋭部隊でも最後は崩壊してしまうということが、これはコロナ禍の前から訴えておることでございまして、いま一度やはりこの外堀を掘り直すということが重要だと。
この外堀とは何かということでございますが、この一つの拠点が、私は、それぞれがつながりがつくれる場だというように考えております。今日のメーンテーマでございますが、やはりその地域でいろんな通いの場、あるいはサロン、あるいは集いの場というものが必要だということになってまいります。
で、その場に関しましては、厚労省の方もやはり先駆的に、いろんな通いの場をどんどん地域でつくりましょうと。当初は、体操してお茶話会してそれで終わりでいいですよとおっしゃっていたんですけれども、三年前、あっ、二年前ですね、我々も検討会に入っておりましたが、これからの高齢者のニーズに応えるためには多種多様な通いの場が必要だろうと。そこでは、例えば高齢者が主体で頑張っていれば、子供食堂の応援でもいいじゃないかとか、あるいは先ほどのように少しお小遣いがもらえるような活動でもいいじゃないか、先ほどの京都のデイサービスも有償なんですね、そういったものもありじゃないかといったことで、かなり厚労省の方も、柔軟にどうぞ、柔軟にどうぞということで進めております。
まあそれが、後ほどの課題ではございますが、それを基礎自治体の方がどこまでプラスに解釈されるか、自由と言われても困るよねというようなことになってしまうかというところで今大きく分かれてきているところでございます。まあ、いずれにしても、場が重要。
で、この場というのも、それぞれの住民の方々、高齢者が社会参加をできる場ということで、その中で、私どもの事例として一つ御紹介したいのが認知症予防とフレイル予防の事業なんですけれども、単に体操とか脳トレではなくて、絵本の読み聞かせの手法をマスターしてもらうと。で、マスターすることによって、声も出して、脳トレにもなって、卒業をした後、それを地域でボランティアとして、子供たちですとかあるいは福祉施設でボランティアをするといったこういう取組でございまして、現在、一般介護予防事業としてもかなり普及しております。
この事業でございますが、私はいつも三方よし型の予防だと言っております。高齢者にとっては、そのボランティアそのものの部分と、あるいはその準備とか練習、こういったところで心身をかなりトレーニングしております、今日はちょっと時間の関係でほとんどこれ御紹介できませんが。
実際、こういう予防活動というのは、三か月、半年やって、やめてしまえば全く意味がないわけでございまして、いかに長期できるか。この活動の場合、六年間この活動を継続された方に当センターで脳のMRIなんかも撮影していただいたんですが、やはりほとんど海馬の萎縮、脳の萎縮が見られないというようなことも分かっておりまして、やはり先ほどの、一週間練習してボランティアをしてということをずっと繰り返すことによって、いいアクティビティーが維持できたのではないかなと思っております。
また、今日は時間の関係で御紹介できませんが、やはり三方よしですので、受け手への効果ということで、子供ですとか保護者あるいは教職員へも様々な調査なんかを行っておりましたが、それぞれやはり、高齢者のボランティアに対して高い評価を得ている、また子供の情操教育の一助にもなっているということが分かってまいりました。
おかげさまで、こういった取組に関しましては、日本の希少な例ということでWHOの好事例としても紹介されておりますし、各方面で表彰されたりということで、モチベーション高く進めておられます。
こうした多世代へのアプローチでございますが、一部のボランティアをするといったような奇特な方だけではなくて、長い意味で一般の住民の方にも多世代交流というのは非常にメリットがございます。
これは、東京の、首都圏の一般住民の方に行った調査でございますが、同世代の方とのみ交流している方、異世代とのみ交流、全く交流のない方、また、このブルーが同世代、異世代と両方交流している方、このグラフの長いのが精神的な健康度、つまりクオリティー・オブ・ライフが非常に高いという指標なんですが、同世代と異世代と両方と交流している高齢者が一番健康度が高い。確かに高齢者はそういうイメージなんですが、実は若い世代も同じでございまして、年上、二十代から四十代、つまり現役世代でございますが、目上の層とも交流している方のQOLが一番、クオリティー・オブ・ライフが高いということが分かっておりまして、恐らくこれは地域施策全体としても、これから多世代型のアプローチというのが重要なんではないかなと思っております。
最後のスライドでございますが、じゃ、こういう多世代の交流の場というのができれば、本当にその地域づくりの活動に拍車が掛かるということを、我々はいろんな様々な参与観察あるいは実践例を通して体験しております。
コロナ禍であっても、若い世代のメンバーに入って、若い世代もお客さんになっていれば、いち早くオンラインを導入できたりとか、あるいは活動をSNSで発信できたりというようなメリットも持っておりますし、また、そのなり手、メンバー自体がうまく世代交代ができるということもございます。
こういったことを考えますと、今日のまとめでございますが、認知症・フレイル対策というのは、そもそも、日常生活をどう維持できるかといったものでございます。そのためには社会参加の維持というのが、あるいは向上というのがキーでございますが、そのためには場が必要と。その場を守り立てていき、継続するという意味では、多世代の共生、また三方よしというのが視点でございます。
最後に、先生方に是非御検討いただきたいのは、この場というのは、非常になかなか地域でつくりにくい。物理的にも場所がなかったりとか、あっても、単に公民館で一週間に一回、二時間だけといったような間借りみたいなものがございまして、やはり、うまくいっているところというのは、空き家とか空き店舗を利用したりとかいったような、できるだけ常設に近いような場をつくっていると。こういった場をどう地域でたくさんつくっていけるかというのが今後の課題かなというふうに考えております。
以上でございます。ありがとうございました。
2021年4月14日(水) 参議院 国民生活・経済に関する調査会
3年間を通じたテーマ「誰もが安心できる社会の実現」のうち、2年目のテーマ「困難を抱える人々への対応」のうち、「社会的孤立をめぐる課題」について 参考人質疑
─────────────
ジャーナリスト・NPO法人KHJ全国ひきこもり家族会連合会 広報担当理事・池上正樹参考人 意見陳述
○参考人(池上正樹君) このような機会をつくっていただきまして、ありがとうございます。
私の方からは、引きこもりというテーマについて、二十四年間関わり続けてきた立場から、引きこもる本人や家族の思いとか心情とか、どのようなことに困っているのか、どのようなことを望んでいるのかといったことについてお伝えできればと思っております。よろしくお願いします。(資料映写)
引きこもりという状態についてなんですけれども、一言で言うと、家族以外の第三者とのつながりがないという、関係性が途絶しているという、そういう状態像であるということですね。社会的孤立の状態ということだというふうに言えると思います。
これは、KHJ家族会の方の実態調査によりますと、家の中では自由に歩けていたとしても、あるいは外に行くことはできるけれども、対人交流ができない、そういう必要でない場所になら行けるという、そういう結果が大体六割ぐらいというような感じになっています。
また、最近の傾向では、やはり高齢化が顕著になっていて、四十代以上が大体、家族会の調査では大体三分の一ぐらいということですね。自治体の調査などによるともっと、五割とか六割という、を占めるというような結果も出ているかなと思います。
その心情としては、いろいろ社会で傷つけられてきた、もうこれ以上傷つけられたくない、傷つけたくないから引きこもるということではないかなと思います。
その背景にあるものとしては、やはり、怖い、人が怖いということですね。不安とか恐怖というものがある、PTSDなどがあって動けなくなる、あるいは集団生活自体に過去の経験からトラウマを感じているということで、そういう場に出ていけない、出かけられないということが言えるかなと思います。
その結果、家の中だけが安心できる居場所になっているというのが引きこもりという状態ではないかなと、安心できない社会から自分の命を守るために待避した状態であると。自死ではなく、それでも何とか希望とか期待を持っているから生き続けようと、生き続けるための選択肢が引きこもりという状態なのではないかなと思います。
ただ、本人たちの心情としては、自分たちがそういう、家族や周囲に迷惑を掛けている、後ろめたい、申し訳ない、あるいは期待に応えられなくてそれが情けないとか、そういうことがありますし、また不器用だから言葉でうまく表現できないということも言えるのかなと思います。
これは、ずっとインタビューを続けていくと、大体この引きこもる起因の多くが学校時代の体験に遡る人が非常に多い印象があります。例えば、いじめですとか体罰や暴力といったことがきっかけになって、それが大人になって何らかの形でフラッシュバックみたいなことが起きているということが特徴としてあるかなと思いますし、その職場の人間関係の中でそういうことを想起させるということも起きているということで、なかなか集団生活自体に恐怖や不安を感じて、そういう社会的ストレスがある、が理由になっている、あるいは、元々持っていた見えない特性が理解されない、配慮のない中で、結局そこで傷つけられていくということもあるのかなと思います。
ただ、この引きこもる人たちのこれも特徴だと思うんですけれども、自分は障害ではない、あるいは病気ではないという思い、あるいは親もうちの子は障害ではないということで、なかなかこの障害認定に対する抵抗感があるということで、医療につながらない、行きたがらない。まあ、医療不信というのもあります。ということで、結果的に未診断になっているということですね。あるいは、行ったとしても診断名が付かないということもあるということで、そういう要因の多くが社会的ストレスということも考えられるということからすると、今のこの制度のはざまにこぼれ落ちているというのが引きこもりの状態の大きな特徴ではないかということですね。二〇一〇年に厚労省の方で引きこもりガイドラインというのができているんですけれども、なかなかこれが今の時代状況にそぐわなくなっているということが言えるということです。
そしてまた、引きこもりということに対する偏見や誤解で家族が人目に知られないように息を潜めて生活しているということで、そういう家庭が親子共々高齢になり、これがいわゆる八〇五〇問題という形で顕在化しているというのが今、各地域で、全国各地で起きていることだということですね。それは、家族も本人も、特に家族ですね、家の恥ということで、やはり知られたくない、あるいは相談できないということで、なかなか社会とつながれない状況が長期化しているということで、家族全体が地域の中で孤立しているということではないかなと思います。
孤立することの弊害としては、やはりどうしても情報がないということで適切な判断ができにくくなるということですね。あるいは、周囲に責められている、自分が迷惑を掛けているのではないか、働かなければいけないとか、あるいはもう高齢化していると介護をこれは自分が担わなければいけないのではないかという、そういうプレッシャーに苦しむ、おびえるということですね。そういうところで追い詰められる、で、自分を客観視できにくくなっている。あるいは、生活の不安、将来の不安ということで、なかなか周囲にそういうことを言い出しにくい。これが命のリスクにもなっているのではないかなと思います。
ただ、引きこもる人たちというのは、非常に真面目で優しい、お人よしだったり、あるいは勘がいいということが共通してベースとしてあるのかなと思います。なので、頼まれると断れないとか、助けを求められない、自分には生きている価値がないんじゃないかということで生きることを諦めてしまっている、絶望するということで、こういう状況が起きている。これがまた親亡き後の問題として、これがいろんな形で死につながってしまうということもあるのかなと。こういう引きこもらざるを得なくなっているこの社会をどう考えるかということをみんなで考えていくということが必要なのではないかなと私たちは思っています。
今、支援現場での取組状況なんですけど、法的根拠としては生活困窮者自立支援法ということになります。ただ、これが今、ひきこもり地域支援センターというのが都道府県、指定都市等にあるんですけれども、とプラス福祉事務所が設置されている自治体の自立相談支援機関で引きこもりについては取りこぼさないように対応するという、家族も含めて相談に乗るようにということが厚労省の方から通知は出されているんですけれども、なかなか現場の方では、引きこもりというのがどういう状態なのか、心情とかそういうものがまだ分からない、理解されていないということで、ここでミスマッチが起きているということが多いということですね。
一部自治体、これ今例に挙げていますけれども、引きこもりというやっぱり相談窓口自体が当事者からすると明確ではない、本人や家族からすると明確ではないということで、何か相談、自分たちもその支援の対象なのかどうかが分かりにくいということでなかなか相談につながりにくいということもあるということですね。引きこもり自体がまだ新しい概念であるというのがありまして、その支援、現場での支援というのもその個人に委ねられているということではないかなと思います。
一部そういういわゆるカリスマ的な支援者、寄り添い力というのが必要なんですけれども、こういうことができる自治体なり支援者というのは非常に限られているということですね。やはりこの方向性を、結論を押し付ける、特に就労とか自立とかそういったことを押し付けられるという支援ではなかなかうまくいかない。その本人たちが持っている不安とか望んでいることとか、そこに丁寧に関係性をつくって寄り添っていくということが求められているんですけれども、なかなかそういうことが現場ではまだまだできていないということですね。特に悲嘆に対するケアということができていないのではないかなと思います。
これは孤立状態にあるしんどさというところから来るわけで、まず、そういう本人の話、家族の悩みに耳を傾けて受け止めていくということが大事かなと。不安の払拭するということから、やはり判断していくのは他人ではなく自分であるということですね。で、そういう自分の心を客観視して受け入れる作業に付き合ってくれる、そういう膨大な作業と時間に付き合ってくれる第三者の存在が鍵を握っているんじゃないかなと思います。
自治体の意識、非常に温度差がある。これは異動とかもありますし、引継ぎがうまくいっていないということもあります。そういうところで命が失われていくということがあるんですね。
生活困窮というふうになると、どうしても取りこぼされる、支援の対象外とみなされがちなんですけれども、これをやはり孤立という視点、つながりの困窮というふうに捉えていくということが大事かなと思います。多様性が認められる社会になっているのかどうかということが問われているのではないかなと思います。
そして、今問題になっている自立支援をうたう引き出しビジネス業者、引き出し屋と言われています。こういった実態がいろんな問題を起こしていまして、命をも奪われるということも起きているということですね。
これはネット上で検索すると上位に出てくるんですけれども、非常に家族も疲弊していますので、わらをもすがりたいそういう心情に付け込んで契約を迫るということで、実際その本人を連れ出して、家族は喜ぶんですけれども、実態は、放置されているとか支援プログラムがないとかずっと働かされるなどで、この本人の意思も無視してやっぱり連れ出されることによるいろんな弊害、PTSDなり親への不信感、家族崩壊といったことで裁判も幾つか起きているということで、命も失われるということも実際に幾つかあるということですね。こういう契約が、親の財産がなくなるまで、あるいは本人が脱走するまで続いていくということ、こういうことがやりたい放題になっているということですね。
この問題に関しては、やっぱり消費者契約法上のそういうところで、やはり第三者の権利というんですか、誰かのためにという、やっぱり本人の意思なり権利というものが、きちっと同意が取られているかどうかということがちょっと見過ごされているといいますか、そこを何とかしていく必要があるかなと思います。
そして、大事なところとしては、やはり本人とそれを支える家族に寄り添っていくということですね。最近は兄弟姉妹からの相談も非常に増えているんですね。で、大事なのはやっぱりその疲弊した親の悩みを聞いてあげられる人材をつくるということなんですけれども、親の愚痴を言える受皿、本人の接し方、やはり本人と唯一アプローチできるのは家族である、親であるということで、そういう親に対する具体的なアドバイスをできる、そういう学習の場なりアドバイスが必要になってくるということですね。
やはり、本人、その引きこもっている人としては、やはり生存領域がまさにこの引きこもりながら自宅の中にいるということなんですね。そこをやはり大切にするということが大事なのかなと思います。そういう困り事に寄り添うサポートということが求められているということですね。で、家族や周囲に受け止める姿勢があると、本人の感情が動き出す、解け出すということで、それが生きる希望とか意欲につながっていく、生きる励みになっていくということですね。向き合うのではなくて同じ方向を向いていく、まさにこれが寄り添い力、こういうことが求められているんではないかなと思います。
従来の支援というのは、やはり上から目線とか、パターン化した対応というところで、本人が望む支援とは違っていたということですね。これは、就労とか自立という実績の数字がノルマになっていたというところがいろんなトラブルの原因にもなっていた。これはやっぱり本人がつくったフレームではなかった。本来は、それぞれが幸せになるという、そこが評価の基軸にならないといけないということで、新たな引きこもり支援の認証評価ということが必要なのではないかなというふうに思っています。
今、コロナの感染拡大でいろいろなことが今、体調が悪くなったとか、家族間でやっぱりストレスが高まっているとか、そういったこと、逃げ場がないとかいうことが起きているんですけれども、あるいは行く場所がなくてしんどいとかですね、そういう先行き不安なり、コロナ解雇、雇い止めというものによって新たな引きこもり層というものもこれから出現するんではないかなということが、あのリーマン・ショックのときの教訓からするとこれは十分予想されることかなと思います。実際には、非正規の方に自己都合ということで退職を迫るということも実際企業の中で行われているという話も、当事者たちからも聞いています。
一方で、オンラインによって、その匿名性を保たれながら社会とつながる機会というのは増えてきたのではないかなと思います。元々、インターネットで、そこで、家の中で仕事をする、仕事につながるというようなクラウドソーシングのような仕組みとか、そこに、職場に出かけていかなくても、出勤しなくても社会とつながれる、仕事ができる、そういうことがこれから起きているということではないかなと思いますし、元々、そういう引きこもっている人でも内面にある良さというのがそれぞれあるわけで、そこが生かされるような、そういう社会にもなってきているのではないかなということも言えるかなと思います。働くということではなく、やはりつながり続ける支援ということがこれから大事なのではないかなと思います。
これは、私たちKHJの副代表の境先生が、今この実態調査も毎年行っているんですけれども、やはりこのつながり続ける支援ということが必要だということが結果からも出ているということで、これは、調査報告書に関しても、今年度ももう既にでき上がっていて、これは今度十九日に、一般の方にも厚労省の方で会見して公表するということになっています。
これは、私たちの家族会で出している、年に四回出している雑誌「たびだち」になります。皆様のところにもお配りしている雑誌で、これ、引きこもり本人たちや家族の気持ちを一般の人に理解してもらいたいということで、当事者たちが中心になって作っている、そういう雑誌になります。非常に、これを読むといろんな思いなり気持ちなりが理解できて、勉強になるんじゃないかなと思います。
この「たびだち」もまさにオンラインで全国からも参加できる、現場にも来てもらえることで、ハイブリッドの会議で自分のタイミングで参加できる。それによって、些少ですけど報酬を支払ったりして、こういうところで当事者たちの意見を生かしつつ、またこの仕事の場にも、まあ簡単な仕事の場にもなっているということですね。こういう機会なりこういう場をやっぱりつくっていくということも大事かなと思っています。
最後に、これは私たち家族会の方でも幾つか要望を出していまして、やはり新たな引きこもりということを、文言を入れた基本法の制定ですね。そして、その評価軸というのは、就労とかではなくて、多様な一人一人の幸せに寄り添うそういう認証評価であってほしい。あるいは、そういう引きこもり支援の施策のエビデンスを評価、蓄積する組織、そういったことが必要なんじゃないか。そして、この厚労省のガイドラインについても改訂してほしいということですね。そして、医療の診断、障害認定がなくても利用できる制度の創設。あるいは、人材育成や研修ですね。引き出しビジネス業者の、特に消費者契約上のこの法律などの問題、ここの改定なり実態把握なりが必要なんではないかなと思います。そして、家の中にいても、特に内科医、精神科医、歯科医などによる訪問診療なんかも実施してほしいということも一応要望としてあるということですね。
最後に、ちょっとこれは参考資料として、これは、家族会というのは、やはり、これ今厚労省事業の方で実際に、これ有識者、複数の有識者に、もうずっと言ってきていることなんですけれども、家族会というのがやはり各地域に有効であるということですね。それは、やはり家族の存在というのが本人と唯一接点としてあって、本人に対する関わり方によって本人も元気になっていく、生きる希望が生まれていく、そのためのまずは家族を支えていく、サポートしていくということが大事なんだということですね。ということをこういう資料で、これはもう複数の有識者たちもこういうふうに言っているということですね。
これは、私たちが、実際にこのシンポジウムを、地域で家族会のつくり方ということで、どのようにして、やはり行政がまず主体になって、そこでなかなか家族はやはり自らが目立ちたくない、隠したいというそういう気持ちがありますので、まずその集まりをつくっていくことによって、そこで何回か集まりをつくることで家族会を立ち上げていくということを実際に実践している、実践したことについてのシンポジウムについて、実際、一般の方々でももう既にこの動画が視聴できるということで、最後に紹介させていただきました。
以上です。よろしくお願いします。ありがとうございました。
2021年4月14日(水) 参議院 国民生活・経済に関する調査会
3年間を通じたテーマ「誰もが安心できる社会の実現」のうち、2年目のテーマ「困難を抱える人々への対応」のうち、「社会的孤立をめぐる課題」について 参考人質疑
─────────────
成蹊大学文学部教授・澁谷智子参考人 意見陳述
○参考人(澁谷智子君) よろしくお願いいたします。最後の回になります。
では、今日はヤングケアラー、なぜ子供がケアを担うことになるのかについてお話しさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(資料映写)
まず、ヤングケアラーとは、慢性的な病気や障害、精神的な問題や依存症などを抱える家族の世話をしている十八歳未満の子供や若者のことを指します。ヤングケアラー支援の進むイギリスでは、具体的には五歳から十七歳の子供がヤングケアラー調査の対象となっています。ヤングケアラーの多くは、小学生、中学生、高校生といった学齢期の子供たちですね。
日本社会において、子供が家族のケアをするということは、家族の助け合いとして捉えられ、むしろいいことではないかというふうに捉えられてきました。しかし、多くの場合、それは漠然としたお手伝いのイメージで捉えられていて、何歳ぐらいの子供が、一日にどれぐらいの時間、どんなタイプのケアを行っているのか、なぜその状況が起きているのか、その実態をより踏み込んで把握しようとすることは今まで余りなされてこなかったように思います。
例えば、家庭でのお手伝いとヤングケアラーの境界線はどこにあるのかという疑問がしばしば聞かれます。
お手伝いというのは、子供の年齢や成長の度合いを考慮して与えられる範囲のことではないかなと個人的には思います。頑張ればできるようなことを子供にしてもらって、それをすることによって子供は達成感を得られたり、あるいは感謝されたりして、そこから子供が得ていくものもあります。このように、子供が子供としての生活ができる範囲で、家庭で求められる役割を果たしていくのがお手伝いではないかと思います。
一方、子供の年齢やその成長の度合いにしては重過ぎる責任や作業を継続的に子供が担わされていくと、周りはまさか子供がそういうことをしているというふうには思っていませんので、その年齢の子供や若者として想定される生活ができず、結果として子供自身の心身の健康や、それから安全、そして教育に影響が出てきてしまうことがあります。必要に迫られて、年齢とかにも、もう度外視するような形で重過ぎる責任が掛かってくる、これがヤングケアラーの置かれている状況になるかと思います。
では、なぜ近年こうしたことが注目されるようになってきたのでしょうか。
実は、家族の領域というのはこの数十年で大きく変化しています。例えば、一世帯当たりの人数、これは一九五〇年代前半に比べて半分になりました。それから、共働き世帯は一九八〇年からの四十年間で倍になっています。そして、母子世帯は二十五年間で一・五倍、そして父子世帯は一・三倍になったと言われています。家族の人手、そして家族が家に掛けることのできる時間というのは相当に減ってしまっています。
一方で、先ほどのお話にもありましたとおり、日本人の平均寿命、余命と言った方がいいんですかね、平均余命は世界トップレベルで延びていまして、しかも健康寿命は十年短い、約十年短い状況です。そういうふうに考えていきますと、人生の晩年には誰かに支えられる十年があります。そして、このように高齢者の数も増えていますし、一方で精神疾患を持つ方の数も増えています。このように、ケアを必要とする人は増えている状況で、そしてそのケアをすることは家族がするというふうに期待されています。
日本は、一九九〇年代前半に、人口オーナスの時代、つまり十五歳から六十四歳の生産年齢人口が総人口に占める割合が少ない時代に入ったと言われています。そうですね、人口減少の中で働き手を確保しなければならないということがまず経済の領域で言われるようになりました。そのために、女性も、そして元気な高齢者も労働市場で働くということを推奨されていまして、そのための環境整備も進んでいるかと思います。
でも、家庭の領域はどうでしょうか。ケアを必要とする人は増えて在宅福祉が推進されているのに、大人は労働市場に駆り出されて、家庭に掛けられる時間やエネルギーは減っています。
具体的に時間ということに注目して見ていきたいと思います。
例えば、ちょっとこれ、表の字が小さくて本当申し訳ないんですけれども、そうですね、子供がいる共働きの世帯というのは子供がいる専業主婦世帯よりも家のことに掛けられる時間が少ない状態であるというのが示したのがこの表になります。こちら、二〇一六年の総務省の調査なんですけれども、共働き世帯ですと、家事関連時間というのは、妻が四時間五十四分、そして夫は四十六分ですけれども、専業主婦世帯ですと、妻が七時間五十六分、そして夫が五十分ということになります。やはり共働き家庭の方が家のことに掛けられる時間は短くなっているわけなんですけれども、子育て期の一人親世帯は更に家のことに掛けられる時間が少ないです。女性の場合ですと三時間五十九分、男性に至っては一時間九分ということになっています。
このように、経済的な事情から大人が働かざるを得ず、労働で疲弊した大人が家庭のケアをするのが十分できなくなったり病気や障害を抱えたりする中で、大人のようには稼げない子供が家族を支えようとケアを担っているところはあると思います。
皆さん、考えていただきたいんですけれども、ケアというのは、そばにいる、その人のそばにいる、そして時間やエネルギーをそこに使うということが大切になってくるところがあります。例えば、今私がここにいるということは、私は今子供のそばにいないということで、私は今ケアをしている状態ではないということになります。なので、やはりケアということを考えるときには、やはりその時間にそこにいることが大切になってきてしまうというところがあるんですけれども、ある意味、社会ではケアを度外視した働き方というのが標準的になって、その働き方を進めてきてしまったところがあると思うんですね。そのことが結果として子供や若者から時間やエネルギーを奪っているという構造が私はあるのではないかというふうに思っています。
ヤングケアラー支援が世界で最も進んでいるのはイギリスなんですけれども、そのイギリスの一九九五年のヤングケアラー調査の報告書では、今後、子供がケアを引き受けることへの需要は増えていく可能性が高いというふうに指摘されました。具体的に言いますと、高齢者の増加、そして家族の世帯人数が減っているということ、そして家族というユニットそのものがかなり不安定なものになってしまっている、そういう状況が指摘されたんですけれども、こちら、ヨーロッパの全ての国々でそういうことが見られるというふうに言っていますけれども、同じ現象は日本でも起きています。さらに、日本では、ヨーロッパに比べまして、長時間労働、そして非正規雇用者の経済的不安定さというものも顕著になっています。
日本社会の構造として、家庭のことが仕事よりも後回しにされ、その空白を子供や若者が埋めざるを得なくなっている状況があると思います。家庭では、子供をケアに向かわせる力というのは大きく働きます。けれども、子供がケアをすることを止める力は働きにくい構造があります。まず、子供がケアを担ってくれると、家族は有り難いんですね、ありがとうと感謝します。そうすると、子供はもっと頑張ろうとします。子供が家族の役に立とうとすること自体はいいことかもしれないんですけれども、自分のことができなくなるまでケアを引き受け過ぎないように、やはり家族以外の人が、家族の外の人が子供の負担を軽減する方法を真剣に考えていくことが必要とされていると思います。
ヤングケアラーは、ケアを担うケアラーである前に、成長途中にある子供なんですね。やはり、子供である以上、不適切なレベルのケアを負って、その安全や教育や成長を脅かされる事態というのは避けなくてはいけないと思います。
こちら、先ほどもイギリスは進んでいるというふうにお伝えしたんですけれども、イギリスの医療というのは実は国営が基本になっています。ただ、その国営のホームページで、ヤングケアラーであること、あなたの権利というページがありまして、こういうメッセージが出されています。読んでみます。
もし、あなたが十八歳未満で、障害や病気や精神的問題や薬やアルコールの問題のある家族のお世話を手伝っていたら、あなたはヤングケアラーです。ヤングケアラーなら、あなたは恐らく、親のどちらかか、きょうだいの面倒を見ているでしょう。さらに、あなたは、料理、掃除、誰かの脱ぎ着や移動を手伝うなど、家の中の仕事もしているかもしれませんと書いてあります。
さらに、この続きには、ケアに関するあなたの選択肢という欄もあります。更に読ませていただきます。
家族の誰かが世話を必要としていたら、あなたは助けたいと思うかもしれません。でも、あなたはヤングケアラーとして、大人のケアラーと同じことをするべきではありません。また、誰かのケアをするためにあなたの時間を多く使うべきでもありません。それは、あなたが学校でしっかり勉強したりほかの子供や若者と同じようなことをしたりする妨げになることがあるからです。あなたがしたいと思う、あるいはしてあげられると思うケアのタイプと量を判断するのは大切です。また、そもそもあなたがケアラーとなるべきなのかどうかを判断するのも大切ですとあります。
さらに、ここでは、障害のある全ての大人は子供に頼らなくてもよいよう、そのニーズによって行政からサポートを受ける資格があることが説明されています。でも、子供はこうしたことを知りません。知りませんので、やはりこうしたことを子供が分かるような方法で子供に伝えていくということが必要になってくるかと思います。
去年、埼玉県では、埼玉県内全ての高校二年生五万五千人を対象として調査が行われまして、千九百六十九人がヤングケアラーとして分析されました。二十五人に一人の高校二年生がヤングケアラーとしての経験を持っていたことになります。
高校生がケアをしているのは、お母さんとおばあちゃんが多いという結果でした。子供がケアをする状況は、日本社会でケアの担い手と想定されてきたお母さんやおばあちゃんがケアを必要とする場合に起きやすくなっているということがうかがえます。
では、どれぐらい時間を使っているのでしょうか。
こちら、学校のある平日では、ケアに掛ける時間として、一時間未満が四割、そして一時間以上二時間未満が三割近くいるということが分かります。四時間以上と答えた高校生も百七十二人いました。
私の家にも実は高校生がおりますけれども、大体朝八時過ぎには学校に行って、家に帰ってくるのは、部活のある日は大体七時ぐらいになるかと思います、夜七時です。もし、そこから二時間ケアをすれば、自分のことをする、自分のことができる時間というのは夜九時になりますし、そこから四時間ケアをすれば、自分のことができるのは十一時ということになります。夜十一時になってようやく宿題をできるかなというような、そういう状況ですね。やはり、ケアの時間ということを考えるときには、大人を基準に考えるのではなく、それが高校生にとってどういう意味を持つ時間数なのかということを考えていく必要があると思います。
これは、どんなケアをしている子がどのぐらいの時間ケアをしているのかを示したグラフになります。この六〇%のところで縦に線を引いてみました。そうしますと、このラインで灰色以上になる、つまり平日に二時間以上ケアしている人の多い項目というのが実は幾つかあります。具体的に言いますと、家計支援、これは家族のためにバイトで働くなどです。それから医療的ケア、これはチューブを使った経管栄養の管理とか、それからたんの吸引などがこれに当たります。それから金銭管理、請求書での支払とか銀行でのお金の出し入れなど。それから通院介助、病院への付添いです。そしてきょうだいのケア。こういうものが割と多くなっています。
こういうケアをしている高校生たちは、全体で見てみますとそれほどパーセンテージとしては多くはないかもしれないんですけれども、こうした種類のケアをしている子供、若者たちはかなり重い責任を負って、長い時間ケアに費やしているということは見ることができると思います。
一般にヤングケアラーがしていることとして多いのは、この上にありますとおり、家事、食事の用意や後片付け、洗濯、掃除などそういうものと、それから下の方に、下から三つ目の感情面のケアですね。感情面のケアというのは、その人のそばにいる、見守る、元気付けるなどで、例えば、認知症のおばあちゃんがお財布を取られたと言ったりする、もう三十回も四十回も言ったりするのに、ゆっくり聞いて、そんなことないよと言ってもおばあちゃん納得しないので、うん、そうかとか、で、今度こういうことあるんだけどねみたいな気をそらしてあげたりとか、あるいは、自分は生きている意味がない、死にたいと泣くお母さんの話を何時間も聞いて慰めるとかですね。こうしたケアというのは、子供にとってはかなり忍耐の要るケアです。感情面のケアは子供の年齢が幼くても担っている割合が高いということがイギリスの調査結果で出ています。
それから、こちらは学校のある平日の一日当たりのケア時間と学校生活への影響をまとめたものです。ちょっと数字だらけで済みませんが、埼玉県の調査結果を基に、それを比較しやすいように表にまとめてみました。数値の単位というのはパーセントになります。一時間未満というのが七百九十五人いて、八時間以上は三十人ですから、母数がかなり違うので、純粋にパーセントの比較をするというのは注意が実は必要なんですけれども、それでもある程度の傾向は見えるところがあるように思います。
まず、学校生活への影響がどこで最大に出るのか、これを見ていきますと、学校のある平日に一日四時間以上六時間未満のケアを行っている高校生たちであるということが分かるかと思います。赤で示したところになります。この高校生たちは、勉強の時間が十分に取れないと強く感じ、成績が落ちたと感じ、自分の時間が取れないと感じ、そして睡眠不足を抱えています。遅刻はしながらも学校へ行こうとして、友人と遊ぶことができない、アルバイトができない、部活ができないと感じ、ストレスも一番高いです。何とか学校生活との両立を図ろうと努力して、同世代の子たちと同じような生活をしようともがいているのがこの層ではないかと思います。ところが、平日の一日当たりのケア時間が六時間以上になると、もういろんな意味で諦めてくるのかなというふうに思います。もう頑張れなくなったり意欲を持てなくなったりする局面が増えてくるように思います。
今度は、この色を付けたところなんですけれども、ケア時間が多くなると、じゃ、子供にとってどういうところから影響が出てくるのかを考えてみたいと思います。
一番左の欄ですと、このブルーにしたところですけれども、ケア時間は多くなくても、ケアについて話せる人がいなくて孤独を感じる、ストレスを感じているというのが二桁のパーセンテージになっています。次に、その隣の一時間以上二時間未満の人たち、紫のところになりますけれども、孤独とストレスに加えて、自分の時間が取れない、勉強の時間が十分に取れないということが認識されています。それから、二時間以上四時間未満になりますと、友達と遊ぶことができない、睡眠不足、体がだるいというふうに高くなりまして、そして、四時間以上六時間未満になりますと、このようにいろいろな項目でぐっとパーセンテージが上がるかと思います。この辺りは後で見ていただきたいと思います。一日のケア時間が八時間以上になりますと、ストレスは実は減るんですね。減るんですけれども、一〇%を超えるようになってくるのが、周囲の人と会話や話題が合わない、学校を休みがち、進路についてしっかり考える余裕がないといった項目です。体のだるさ、しっかり食べていない、授業に集中できないという答えも高くなっています。
では、高校生たちはどういうところからケアの影響を受けていくのかというのを整理したいと思います。
まずは、自分の精神面への影響があり、そして自分個人で使う時間への影響があって、そして友人との関係、そして体調への影響があって、そして、この四、五の辺りになりますと、学校生活の体面を保つことへの影響が出てきます。そして、最終的にその将来への影響という順序をたどるのではないかと思います。
今の状況ですと、ヤングケアラーは学校に行けているなら大丈夫とみなされがちなんですけれども、これはこの六の最終的な局面になってからようやく支援につながれるかどうかという状況であるということが分かると思います。ここに至るまでに、ヤングケアラーたちがしんどさや孤立感、大人に助けを求めてもしようがないという感覚を持ってしまうのは当たり前であるように思います。
一方で、子供がケアを担う状態というのは、単に家族が病気や障害を持っているからというだけでは発生しないということにも目を向けたいと思います。
こちらはヤングケアラーのスクリーニングシートのガイドラインなんですけれども、ここでは、親の病気や障害は子供がケアを担う状況を引き起こす可能性があるきっかけとしてのみ見られるべきですというふうにあります。そして、このヤングケアリングというのは、病気や障害のある大人が親としての役割を果たすことへの支援において、適切な医療や福祉のサービスがなかったり、効果的でなかったりする場合に起こりますとされています。
実際、今の医療や福祉のサービスは、ケアを必要とする人がケアをする側でもあるということが十分に考慮できていないことが多々あります。病気や障害のある親は、サポートが欲しいと思っても、親としての役割を十分に果たしていないと思われるのではないかというおそれを持ち、なかなかそれを言い出すことができない。そうすると、その状況は誰にも気付かれず、結果として子供がケアを担うことになります。
繰り返しお伝えしますように、子供がケアを担う状況は、家族のことは家族でという圧力が強く働いている社会のしわ寄せが社会でも家庭でも弱い立場にある子供に行っているということが言えると思います。子供であっても介護力と見られがちです。家族は余裕がありません。学校の先生は家庭のことまでは分からない。そうすると、家族の状況を把握した上でケアをする子供の立場にとって相談に乗れる専門職はいるのかということになります。
もう時間になりますので、もうはしょりたいと思うんですけれども、家族の力が以前より弱体化していることを考慮しないまま、家族の助け合いを前提としてしまうと、結果として子供や若者にそのしわ寄せが行っている。そして、実際に家族を重荷やリスクとして感じた子供たちは将来自分が家族を持とうという気持ちになれるのだろうかということも問いかけてみたいと思います。
ヤングケアラーが自分の力を完全に発揮できるようにというのが、世界の国際的なヤングケアラー会議で掲げられていることです。こういうことを考えていく必要があるのではないかと思います。
以上です。
2021年4月14日(水) 参議院 国民生活・経済に関する調査会
3年間を通じたテーマ「誰もが安心できる社会の実現」のうち、2年目のテーマ「困難を抱える人々への対応」のうち、「社会的孤立をめぐる課題」について 参考人質疑
○岩渕友君 日本共産党の岩渕友です。
参考人の皆様、今日は貴重な御意見をいただきました。本当にありがとうございます。
まず、藤原参考人にお伺いをいたします。
私は福島県の出身なんですけれども、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から十年がたちました。震災とその事故の以前は、例えば三世代が一つの家に暮らすような大家族だったんだけれども、何世帯にも分かれてしまうようなことになったという御家族の方たちもいらっしゃるんですね。災害公営住宅に入居をされた方もいらっしゃるんですけれども、高齢な方が多いというのが実態です。
例えば、岩手県の災害公営住宅では、昨年九月末の時点で、六十五歳以上の方を含む世帯が六一・五%、独り暮らしの世帯が三三・七%になる中で孤独死が五十九名出ていて、仮設住宅の孤独死が四十六人ということで、それを上回って増えているという状況なんですね。この災害公営住宅でのコミュニティーの確立と高齢者の方々への見守りというのは、これを強化するということが非常に重要な課題になっていると思います。
今、災害がもう毎年のように大規模なものが起きる中で、こうした状況というのはどこでも起こり得ることだというふうに思うんですけれども、その災害時に孤独であるとか孤立といったものを起こさないためにどういったことが必要だというふうにお考えか、お聞かせください。
○参考人(藤原佳典君) やはり、災害時でも、災害後ですね、いち早くコミュニティーが復活できるかどうかというのは、これ物理的に違うところへぼんと飛ばされるとなかなかそれはちょっと時間が掛かるかと思うんですが、基本的には同じ生活圏域内ですと、元々やはり、我々の領域で言いますと地域のソーシャルキャピタルと言いまして、地域の社会関係の資本、いろんな人たちがつながっているといったようなところで非常に協調性のあるような地域はまた復活しやすいというようなことは言われておるんですけれども、やはり物理的に遠いところへ行ってしまったとなったときに、やっぱりそこは少し時間は掛かるかとは思うんですけれども、もう一度もう新たなコミュニティーをつくるような、それこそ協議会といいますか地域のミーティングみたいなものをつくっていくというところが必要かと思います。
私は、若干ですけれども、当センターが気仙沼市さんと協定を結んでおりまして、いろいろ行き来させていただいているんですけれども、やはりあそこも復興住宅でかなり元のコミュニティーが崩壊して、一から町会や自治会も立て直しみたいなことに直面されたわけなんですけれども、やっぱりそうなると、新たなやっぱりコミュニティーをつくるための協議会なんかをつくっていくと。そのときも、やはり私は大事なのは、できるだけ、数は少なくてもいろんな世代が入っていただくと。高齢者が例えば六割だったとしても、そこに、何といいますか、子供、子育て世代ですとか学校とかそういったところも入ってやっていかないと、どうしても、高齢者同士での相互支援というのは、もう時間が来るとやっぱりお互いドロップアウトしていったりとか、なかなか手薄になって持続可能な部分が難しいかと思います。そういう意味では、できるだけ全ての会にいろんな世代が入っていただくということがやっぱりこれから重要なんではないかなと思います。
やっぱり、若い世代が少しでも入っていると、数は少なくてもその方がいろいろ発信されたりとか、また、ママさんあるいはパパさんのネットワークで人を連れてきたりというようなこともありますので、先ほど私もプレゼンテーションのときに、いろんな世代が関わっている方がクオリティー・オブ・ライフが高いということをお示しいたしましたけれども、これは基本的に、災害時であろうが災害後であろうがコロナ禍であろうが、やはりいろんな世代の方が少しずつ関与しているというのが、こういう地域をつくっていくということがこれから持続可能性あるいは発展性という意味で重要だと思いますので、決して役所の方も縦割りで高齢福祉課だけとか教育委員会だけというんではなくて、もうともかく過疎地というのはある意味では役場の人間も顔の見知ったる方々ですので、縦割りを崩そうと思えば崩しやすい環境だと思うんですね。そこに町会も自治会も、皆さん顔の見える方が多いわけですので、できるだけ全世代型のコミュニティーをつくっていくということがこれから大事なんではないかなと思います。
以上でございます。
○岩渕友君 ありがとうございます。
実際にはなかなか、高齢な方が多くて、例えば自治会のなり手になる方そのものもいないというような状況もあるんですけど、やっぱりいろんな世代が入っているということが非常に重要だというふうに思うので、そうなるような、何かいろいろ、そもそも高齢者だけになっている背景というのもあるので、そういったものを一つ一つ解決していくということも必要かなというふうにも思っています。(発言する者あり)
○会長(芝博一君) ちょっと待ってください。質疑でいいですか。
○岩渕友君 じゃ、済みません。
○会長(芝博一君) じゃ、藤原参考人。
○参考人(藤原佳典君) 本当に岩渕委員おっしゃるとおりでございまして、やはり若い世代が何を、じゃ、地域に寄与できるのかといったところだと思うんですね。
一つは、やはり今、現役世代の方が、プロボノ活動といいますか、現役世代のスキルを生かして、データイムは難しいとしても、例えば夜ですとか休日とかにホームページで何かやり取りをするとか、あるいは、休日以外の、休日を使って何かできるような、余り負担の掛からないような形で、入口で入っていくと。そうしている中で、だんだん仲間意識が入っていって実際のコアメンバーになるというようなパターンもこの頃大分期待されて、見られている事例もありますので、いろんな若い世代を取り込む手法というのはこれから多々アイデアが出てくるかと思います。
○岩渕友君 ありがとうございます。
次に、池上参考人にお伺いをいたします。
今日配付されている冊子にも紹介をされているんですけれども、昨年、NHKで、引きこもりをテーマにしたドラマであるとかドキュメンタリー番組の特集が放映をされて、ハッシュタグこもりびとという名前で立ち上げたサイトには、当事者の方や御家族の方からの声がいろいろ寄せられたというふうに聞いています。
それで、引きこもりのきっかけということでいうと、今日お話にもあったように、学生時代のいじめであるとか暴力が多いということだったんですけれども、それだけにとどまらずに、例えば社会に出ても職場のパワハラがあったり、人間関係があったり、病気になったり、例えば長時間労働なんかがあったり、そのきっかけというのは非常に多岐にわたっていて、これ、誰にでも起こり得るということなのかなというふうにも思うんですね。
参考人の資料、事前にいろいろ目を通したんですけれども、成果を求める支援はなじまないんだというふうに述べていらっしゃるんです。同時に、引きこもるということは経済的損失でも生産性の問題でもないというふうに述べていらっしゃるんですね。こうした点から、どういった支援が必要だというふうにお考えかということをお聞かせいただきたいことと、ただ生きていてほしいと思える考え方がもっと当たり前になるような世の中になってほしいというふうにも述べていらっしゃるんですね。これ、非常に重要だと思うんですけれども、そのために必要なことについて考えをお聞かせください。
○参考人(池上正樹君) ありがとうございます。
「こもりびと」ですね、ドラマが非常に、当事者たちからも、御家族からもやっぱりすごく自分事として結構見られた方が多くて、非常に好意的に受け止められているのかなと同時に、一般の方々にも、引きこもりって何かこういうことだったんだということが結構理解も広がるきっかけにもなったのかなという、そういうドラマだったと思います。
あそこで描かれていることも、実際に実話というか、ドラマなんですけれども実際にあった日記が基になっていたりとか、結構随所随所に出てくるエピソードもリアルな話が結構凝縮され盛り込まれていたと思いますし、ですから、御覧になった方々は皆さんそれぞれにとって自分に置き換えられて見られたのではないかな、そういうことが今社会でやっぱり起きていること、そういう不安な状況の中でいろんな引きこもる要因というのがいろいろなところで起こっている、そういう社会なんではないかなということではないかなと思います。
どんな支援をということなんですけれども、やはり、先ほどちょっとお話ししたような、寄り添うということですね、これは、もうやっぱりずっと責められてきた、否定されてきたということが繰り返し続いてきたということで、非常に追い詰められているという、また、あるいはもう諦めてしまっているという、そういう御本人にとって、やっぱり自分も何か役に立てたりとか、何か自分が必要とされている、自分も生きていていいんだ、生きる価値があるんだという、そういう、やっぱり認められる、肯定されるということが、そういう環境なり接し方が必要なんではないかなと思っています。
そういう意味では、やっぱり生きる、生きていていいんだと思えるような、そういうサポートということが大事なんですけれども、まあ今はなかなか、家の中にいてほかの人とは交流を断ってしまっているという状況であれば、やっぱり家族が唯一接点が持てるということでいうと、まずはその御家族、家族はそういう引きこもる本人を隠したがって知られないようにして、またそれで地域で埋もれているという状況がもう今全国たくさんあるので、そういう御家族の方々にやっぱり呼びかけて、まずは相談に乗って、そしてその御家族がやっぱり本人にどうアプローチするかということ、アドバイスできるかというその接し方がとっても大事になってくるんですね。
その本人が元気になる、また、生きてみようかなと思えるような意欲を、生きる意欲を持てるような、そういうふうになってもらうために、御家族の役割ってとても大事なのではないかなと思います。で、それは生きるということではないかなと。そういうメッセージですね、あるいは選択肢が必要、そういう寄り添う、家族に寄り添う、そういう寄り添い力というのが大事なんではないかなと思っています。
○岩渕友君 ありがとうございます。
次に、澁谷参考人にお伺いをいたします。
ヤングケアラーというと、介護だけではなくていろいろなことを担っているということだと思うんですけれども、ちょっと介護の問題で、介護の人材不足によって介護を受けたくても受けることができないというような実態もあって、そうなると、御家族の負担が増えて、例えば介護離職せざるを得ないというようなことになったり、両親に代わって子供たちが介護を担うということになるのがこのヤングケアラーにつながっているということだというふうに思うんですけれども、そう考えたときに、介護の制度そのものをもっと充実させることが必要なんじゃないかなというふうに考えるんですけれども、参考人はどのようにお考えでしょうか。
○参考人(澁谷智子君) 可能ならもっと充実した方がいいなというふうには思います。
恐らく独り暮らしの高齢者であったらもっとサポートされたかもしれないところが、家族がいるという点をもってそこが十分にいかないと、結局家族も余裕がない中で、この時間帯は、じゃ、子供がみたいな感じになってくることも当然起きてくるんですね。
で、すごく、やはり家族の中に健康な人がいてその人が世話をできるというイメージというのが根強いと思うんですけれども、それって本当にそうなんだろうか。働かなくてはいけない、それから子供の世話もしなくてはいけない、自分ももしかしたら病院に行かなきゃいけないかもしれないという中でケアをするというのがむしろ標準的なイメージとしてつくっていったときに、そうすると、ケアをすることをサポートするような体制というのをもっと用意していくことが大事になってくるのではないかと思っています。
そういう意味では、おっしゃったように、介護体制の充実というところはケアをすることへのケアというところで、そこも支えないとみんな共倒れになるかなと思います。
○岩渕友君 ありがとうございます。
今日は、お三方から貴重な御意見をいただきました。本当にありがとうございました。
以上で終わります。