(議事録は後日更新いたします)
参院国民生活・経済に関する調査会は27日、地域コミュニティの充実について参考人質疑を行いました。
日本共産党の岩渕友議員は、1990年代以降の格差の広がりなど経済的に弱っていたところに東日本大震災、東京電力福島第一原発事故があり、被災地では二重の被害を受けたと強調。その上でのコミュニティの喪失は重大な被害だとして、被災地の復興を進めるうえでのコミュニティの果たす役割について質問しました。
日本福祉大学大学院の野口定久特任教授は「被災された地域の生活再建が重要」とし、具体的には「雇用、住宅、健康をセットとして支援できる体制を作ることだ」と答えました。
続いて岩渕氏は、原発事故による避難指示区域外からの避難者に対する住宅無償提供が打ち切られ、家賃補助も打ち切らようとしているもとで、居住権を保障することの重要性を質問。野口氏は、「日本居住福祉学会は〝住居は福祉の基礎である〟とうたっている」「住居の質を保証することによって社会保障やサービスが成り立っているという考え方であり、居住権の保障を重視していきたい」と答えました。
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○参考人(野口定久君) 日本福祉大学の野口でございます。本日は、この調査会に参考人としてお呼びいただき、光栄に存じております。
それでは、私の方からは、地域コミュニティーの充実に向けた方策についてお話をさせていただきます。(資料映写)
御承知のように、今は人口減少時代になっておりますので、その中である程度、経済成長もそう多くは望めないというところでいうと、これからは成熟社会というところでの地域コミュニティーをどう構想するかということを出しました。
それで、人口減少時代の地域コミュニティーの枠組みといたしましては、人口減少時代の特徴は、人口に占める働く人、いわゆる生産年齢人口の割合が下がってくることでありまして、この現象を人口学のところでは人口オーナス、負荷というように呼んでおります。
地域コミュニティーの行財政でありますけれども、今は財政難に苦悩する自治体がその出口の戦略をどうするかというところで悩んでいるわけですけれども、行政の事業や政策決定に住民が参加すること、それから地方財政の情報を住民に公開をする、そしてその上で新たな地域コミュニティーの財源づくり、まあコミュニティーファンドであるとかソーシャル・インパクト・ボンドの仕組みなど、こういう実践が進められております。
そして、地域コミュニティーのこれからのベクトルとしては、信頼に基づく緩やかな共同体の形成と社会福祉法人の公益的な活動に今着目がされているというところでございます。
そして、図表一に示した、地域福祉の形というのを示しました。特に、政府、市場、地域、家族というこういう構成要素の中で、マクロ、それからメゾ、ミクロ、特にメゾ、ミクロのところが地域コミュニティー、それから家族であります。ここのところを公助、共助、互助、自助というふうに並べたときに、こういうふうに政府、市場、地域、家族の要素というのは、公助、共助、互助、自助の役割であるというふうに考えております。
社会の安定を保つためには、社会の安心の基盤である社会保障制度や財源の調達が必須であります。現役世代の安心はもちろんですが、次世代の安心をも保障していくものでなければなりません。
これからの地域コミュニティーの形としては、近年では、個人が、個人化し、家族構成員個々の問題を家族、世帯として受け止め切れない状況が発しております。問題が地域化、社会化する傾向が出てきております。
そして、公助、共助、互助、自助でございますが、マクロからの公共政策、これは国民国家によるナショナルミニマムに基づくセーフティーネットの基盤形成と、それから市場の中で社会サービスを多元的に供給していくと、こういうことが必要、求められております。
それから、メゾ領域、特に地域コミュニティーのところでは、生活保障のシステムを支える再分配や財源の移譲を図る必要があると。ですから、生活保障システムは今まで公共政策として政府の、中央政府の役割とされておりましたけれども、これからは地方自治体、地域の中で生活保障の仕組みをつくっていくということが求められております。
それから、ミクロ領域の家族や世帯、個人では、互助と自助に基づいて生活力を回復をし、生活保障システムをこれによって補完していくということが重要だと考えております。
それで、今イギリスでは、孤独相、孤独担当相というところが設置されました。もっと深刻な日本ではその対策があるのかどうかということでありますが、イギリスの場合には非常に、この六十五歳以上のうち三百六十万人がテレビが主な友達だというような調査も出てきております。
そして、孤独でいるということは、一日にたばこ十五本を吸うのと同じくらい健康に悪いという研究もイギリスの中では出されてきているということで。
世界で孤独な人が増えている理由、これは、一つは、高齢化によって一人で暮らす時間が長くなっているということであります。もう一つは、デジタル化が進み、人と人が直接触れ合う機会が減っているということも言えます。
OECDの二十一か国調査によりますと、友達や同僚と過ごす時間が余りないと答えた男性の割合は、日本がOECDの中ではトップであります。女性につきましても、世界で最も孤独な国の一つ、メキシコに次ぐ二位ということであります。
今、私も、今名古屋の中区という、ほとんどがマンションでございます。そのマンションの中で今孤独死が非常に増えてきているということであります。これは、個人の問題にとどまらず、地域全体の重荷にもなり得るということを申し上げたいと思います。
独り暮らし高齢者の人数と割合は年々伸びてきているわけであります。特に、横須賀市などでは、葬儀や埋葬の有償契約を高齢者と交わすエンディングプラン・サポート事業というようなものも立ち上げておりますし、そこに民生委員さんや地域包括支援センターを通して地域ボランティアの方たちが独り暮らし高齢者のところを見回るということで回っております。
これは検視医の方からの話でございますけれども、孤独死の現場というのは、もうドアを開けると強烈な異臭と大量の虫が、遺体は腐敗しているというような非常に悲惨な状況であるということであります。私のマンションでもこういうことが起こったわけなんですけれども、早期に発見されても、故人に身寄りがないと判断されるまでは土地や家屋を行政が処分することはできないので、必然的に空き家の増加につながっていく、長い目で見れば地域が衰退していくというような大きな要因にもなりかねないということで、孤独死については、都市部それから過疎地域を含めてこの問題が出てきているということを申し上げたいと思います。
それで、次は外国人労働者の受入れと地域コミュニティーの覚悟ということですけれども、現状では、実習技能生の労働環境をめぐる様々な問題点が今指摘されているところであります。この状態が繰り返されてくれば、欧州のような、今非常に欧州がこの難民、移民の問題で分断された社会になってきているということでありますけれども、日本の場合も、外国人労働者の受入れというのは、生活者としての外国人を支援するために行政サービスや医療・保健・福祉サービス、それから住宅、金融・通信サービスなどへのアクセスの確保、それから日本語教育の充実などが必要になってくる。課題は、こうした施策を外国人受入れの経験がまだ浅い自治体、それから地域社会、企業がどうそこに浸透していくかということが求められているというふうに思います。
それで、この図表二は、今非常に問題になっております生活困窮者自立支援事業の中で、制度のはざま問題というのが出てきております。それと、ソーシャルワークの包括的な支援が必要ではないかと。制度のはざま問題というのは、これは制度がある程度限定されている中においては制度のはざま問題というのは出てくるわけでございます。
そうすると、私は、ここのAダッシュ、Bダッシュ、Cダッシュ、Dダッシュというような、こういうセーフティーネットを地域の中で張っていくためにも、その中で生活困窮者自立支援事業はこのAダッシュからDダッシュまでをカバーしているわけですけれども、特にその中で社会的脆弱層へのソーシャルワーク支援、特にこの滑落型と呼んでいるんですけれども、ワーキングプアとかネットカフェ難民、孤独死、ニート、ホームレスというような人たちをこの社会的脆弱層のソーシャルワーク支援、特にここでは所得保障と社会サービスと相談支援、こういうソーシャルワーク支援、ここが、これから地域の中でもこういう専門職を地域に配置していくということが必要になってくるということであります。
それで、図表の三は、地域包括ケアの構図として、これはA群、B群、C群でありますが、A群はこれは各機関、施設からサービスを提供するという、これデリバリーシステム、ここは日本は介護保険制度で相当整ってきております。それから、これから必要になってくるのはB群のそれぞれの人たち、例えば八〇五〇と言われているような人たちのところでのソーシャルセーフティーネット、サポートネットワークですね、認知症の人たちを地域で見守ろうというような、こういうような活動であります。それから、もう一つ重要なのはCダッシュで、例えば神社や仏閣が、ここに佛子園の雄谷さんが見えますけれども、そこが寺子屋とか子供食堂とか健康体操とかいうことをやっておりますので、このような地域の資源を活用して、地域の中で住民の人たち、それから社会的に困っているような人たちがここで集まってやっていってはどうかと、そういう意味では地域の資源というのは非常に重要であると考えております。
それから、この図表四のところでいいますと、地域共生社会、今、地域共生社会の実現ということがうたわれているわけですけれども、そこのところでいいますと、当事者や家族の会、それから支援者や市民活動、それから地域住民が集まってくる場所、ここで交わっているところですが、ここが、コミュニティーカフェであるとか子供食堂であるとか、そういうところでありますが、ここを数多く地域の中で膨らませていくと、増やしていくという、ここには拠点施設、そして専門職の配置がどうしても必要になってくると考えております。
そして、これが地域共生社会の実現と総合相談体制の仕組みでありますが、伝統的な地域社会、コミュニティーが非常に今弱くなってきている、町内会の加入率も減ってきているわけですけれども、そこが抱えているものは医療や福祉や介護や教育という問題を同時に抱えているので、これについては、NPOやボランティア活動など、企業や協同組合なども参画して、伝統的な地域組織と一緒になってこの問題を考えていくという、そういうところが私は緩やかな共同体ではないかというふうに考えております。そして、それを、丸ごと相談室というような総合相談体制の仕組みを持って、専門職がチームになってこれを解決していくというようなことであります。
そして、居住福祉学会というのは、私が所属しておりますけれども、これももう現場主義、現場の中から問題を解決するところを考えていきたいという、そういう学会でございます。
それで、ここでも中古住宅の流通と空き家の地域活用ということ、これも、先ほどの単独世帯が増えてきているということと併せて空き家が非常に増えてきているわけです。それも、今、そういうところで中古住宅を流通させて、空き家を先ほど申し上げたような地域で活用していくというような、こういうことが求められているのではないかと思います。
これで、地域居住の町づくりというのは、転換期を迎える住宅政策は住宅の使い捨てから住宅を再生、活用していくということ。それから、列島、災害列島になっておりますので、日本は、そこでの居住問題ということ。それから、住まいと町づくりをつないでいくためのコミュニティーカフェや認知症カフェなどの実践は、地域社会から排除されやすい、また孤立しやすい社会的弱者の方たちの様々な居場所を福祉コミュニティーの創造の拠点として新たに位置付け直していく必要があるのではないかということであります。
これが、私が最後に申し上げたい地域コミュニティーの充実というところでは、包容社会ということを御提案申し上げたいと思っています。
分断社会から包容社会、それから緩やかな共同体への愛着ということで、第一層目がサービス、制度の中で期されているサービスでございます。それから、二番目のところが社会貢献型の市場サービス。NPO法人や社会的企業、それから企業などのサービス事業所、こういうところが一のところでは提供できないようなサービスを開発していく。そして、第三層のところでは、自治会活動の助け合いや、それから社会貢献活動、当事者との協働活動とか趣味サロン活動、認知症カフェなど、住民の方たちが社会に参加していくそういう機会を増やしていく。それによって一層、二層、三層を組み合わせたところが私は地域共生社会であると位置付けております。これで、包容社会、そして緩やかな共同体への愛着というところを目指してまいりたいというのが私の考え方でございます。
御清聴どうもありがとうございました。
○参考人(雄谷良成君) 皆さん、こんにちは。
早速なんですが、子供も若者も、それから高齢者も、障害のある人もない人も、日本人でない人も、みんなごちゃ混ぜになる場所があるかということをちょっと考えてみたいと思うんですね。決して特別な場所ではありません。ふらっと行ける場所。(資料映写)
いろんな取組をやってまいりました。私たちの法人は、これで約六十年近くになるわけですけれども、その中で、これは、左側の日本海倶楽部というのは二十年前に農福連携を、ビールを始めたりとかという話をしています。この右側の、実を言うとこの三草二木西圓寺というのは今年で十一年目でありますが、廃寺をコミュニティーに開放していろんな活動が行われた。
実を言うと、子供は子供だけとか、障害者は障害者だけとか、それから、本当に縦割りにやってきたことが実を言うと大きな弊害になっているのではないかという。
この写真は、実を言うと左側の人は重度心身障害の方です。首から下は全部麻痺です。知的障害も持たれています。ところが、この右側の足湯に入っている方は、障害のある方も認知症の方も、あるいは元気な方も、いろんな人が入っていますけれども、十一年前に、あるとき、この障害のある人に認知症の方が自分のもらったゼリーを食べさせようとするんですね。私たまたまその場にいまして、そうすると、手が震えて食べさせられないんです。職員が止めようとしたんですけど、もう少し様子見ようと。そうすると、またやっぱりおばあちゃん行くんですけど、駄目なんです。二、三週間して食べさせられるようになったんですよ。
彼は首の麻痺があるので向けないんですね。我々、このごちゃ混ぜの場所ができるまでは、二年間ぐらいプロとしてリハビリやっていました、彼の。首の可動域が二年間で十五度ぐらい改善できたかなと。ところが、今この角度は七十五度以上です。三週間で、認知症のおばあちゃんと重度心身障害の方が関わるだけで、プロをほったらかしてですよ、元気になる、首の可動域が三十度も四十度も改善される。
二、三か月たって、今度は認知症のおばあちゃんのところのお嫁さんが来ました。理事長さん、どうもいつもはって。もう本当に、一週間に二回も三回も深夜に出る。深夜徘回という言葉は使わないですね、最近は。徘回というのは目的がないというふうに取られやすいんですけれども、それに当たる、代わる日本語がありませんで、認知症の人は必ず目的を持っています。ですから、言い方にすると深夜にお出かけになるというような話になるんですけど、それが、まあなくなったわけではありませんが、一か月に一回ぐらいになる。本当に助かりましたと言うんですね。
で、一つだけ分からないことがあるので教えてもらえませんかと言うので、どうしましたと言ったら、おばあちゃんが西圓寺に行くときに、私が西圓寺に行かないとあの子が死んでしまうと言っているというんですよ。死なないですよ、別に、毎日ゼリーをあげなくても。でも、おばあちゃんは何らかの形で彼を、という思いがあって、私たちのようなプロ、福祉や医療のプロをほったらかして、二人が関わったら元気になったんです。
そんなことが、これを見ると、高齢者、障害者、子供、野田町の住民ががあっと関わっていくとどんどんどんどんいろんな人が元気になってきて、山田さん御存じですけど、小松市というのは人口減少の市です。ところが、二〇〇八年から二〇一八年までに、この廃寺だった西圓寺の周辺は田んぼしかありません。非常に不便なところです。コンビニに行くのにも車で行かないといけない。ところが、五十五世帯から七十五世帯、今七十六世帯まで増えました。二十一世帯増えたんです。
その人たちはどういう人たちかというと、若者が戻ってきたり、あるいは今まで出ていった若者が親の土地を分けてもらって家を建てたりという人たちが二十一世帯にもなったんです。なぜ残ったり戻ってきたりしたのか聞きました。そうすると、居心地がいいと言うんです。居心地がいい理由は何ですかと言うと、いろんな人がいると言うんです。いろんな人ってどんな人ですかと言ったら、障害のある人とか認知症の人とか、最初はびっくりしたけれども、何か居心地がいいと言う。そんなことが実を言うとごちゃ混ぜのエネルギーとしてある。
この左は、JR北陸線の美川駅、乗降客数は今七百人ぐらいです。まあ今八百となっていますが、七百ぐらいに落ちてきていますが、駅を高齢者や障害者、いろんな若者たちが使い出すとどんどんどんどん活性化して、電車には乗らないものの、そこに人が集まってくるというふうなことになってきました。
この右側のシェア金沢というのは、実を言うと、そのごちゃ混ぜの世界をプランニングしていったらどんな町になるだろうかということでチャレンジして、二〇一五年には総理以下、歴代創生大臣とかにお越しをいただきまして、それで視察者が今年間四十万人ぐらいになっています。
このベースになっている考え方というのは、これは辻一郎先生が出された、東北大学のですね、生きがいのある人は生きがいのない人と比べると、七年間追っかけた宮城のデータですけど、三倍も生存率が違うんです。あるいは、人生の目的を強く感じている人と感じていない人では、要介護になる発生リスクは何と倍も違うんです。ということは、もう福祉や医療で悪くなってから追っかけるということではなくてですね、地域の中で人がつながりながら生きていくという社会をつくっていく。
それで、これ、人と人は交わるだけで健康になったり、あるいは付き合うそのグループや地域によってその人の行動が決まったり、あるいはオフィシャルなサポートではなくて、人が人を助けるといったサポートが自然に生まれてくると。私、金沢大学の医学部で公衆衛生学というのを教えていまして、こういった観点が今実を言うと世界中で広まりつつあるんですね。
これは私たちの本部の場所です。核がありながら、周辺にはいろんなグループホームやサ高住、そういったものが住民の中に混ざりながら造られている、これがいろんな化学反応を生み出すんですね。
これは白山市と言いまして、金沢市の隣の市ですけれども、人口は十一万人、このプロット見ると、やはり少子高齢化が分かります。
私たちの本部を更に近くで見てみると、この右側の千代野という場所は、四十年前にディベロップしたいわゆる団塊の世代がたくさんいる。しかし、この団塊ジュニアは去ってしまったということでいる。ところが、この左側の北安田というところは、金沢は調子がいいですからベッドタウンとして若者が子供を育てている。そうすると、これほったらかすと、また右みたいになるわけですね。ですから、ほったらかしておくと、こういったショッピングモールなんかも潰れてしまうと。これが全国の状況であります。
そんな中で、ごちゃ混ぜの場所を、別にいろんな福祉施設をそれぞれつくっていくということもありますが、それを機能を集めていくとどうなるかというと、こういう光景が生まれてきます。これはスタッフの職員室ですけど、ここには、地域の人も入れたり、あるいは障害のある人が入れたりするような場所にしていくと。
これは、左の方はしめ縄作りの名人なんですけど、この右側の人は認知症の非常に進んだ方です。もう息子さんの名前も分からないと。ところが、俺が手伝おうかといって手伝うと、こういうしめ縄を作れるんです。一か月で、このおじいちゃん、四万ぐらいしめ縄でもうけまして、認知症ですけど、全てを失っているわけじゃないんですね。若いときに元気だったときの力というのは必ず使える。
この青年は、二年半前にうちにやってきました。それまでは七年半引きこもりです。地域の人がごちゃ混ぜの場所に連れてきたんですね。このとき彼が言った、二年半前にうちに来たとき言った言葉は、あっ、子供だと言ったんです。何でかというと、夜中の二時、三時にコンビニに行って、あとは家に閉じこもっているので、子供を見ることはないと、実物ですね。そうすると、こういうごちゃ混ぜの場所に来たときに、あっ、子供だと言う。それから二年半、一度も休んでいないんですよ。こんなことは、福祉や医療にはできません。引きこもりを治す薬なんてありませんし。
例えば、この方はダンス講師の人だった。でも、だんだん股関節が開かなくなって、医者に行っても分からない、全く異常がないと言われる。ところが、どんどんどんどん可動域が狭くなっていって、あるとき生徒さんから先生大丈夫と言われて辞めることになったんですけど、なかなか一年たっても原因が分からない。この右側の女性は知的障害の高齢者の方です。あるとき彼女に、私が治してあげると言うんです。そうすると、二、三か月して良くなっていくんです。
こんなことが普通に起こる、原因の分からない股関節痛を治す外科的な手術もありませんし、引きこもりを治す薬もありませんが。
この子は、ADHDですぐ小学校から逃げ出してしまうんです。でも、ここにいる一歳半の男の子に、隣でお経が上がっているんですけど、手を合わす、手を合わせようねと。そうすると、一生懸命この子は手を合わす。そういったところに自分の居場所を見付けることができるんですね。
これは、オレンジのところは、私たちの本部のこれは二〇一五年からのデータですけど、このオレンジのところが普通の施設、病院の利用者とそれを支えるスタッフの数です。この上の青いところは、実を言うと、全く、そういったものを利用しに来る人たちではなくて、ただふらっと遊びに来たりビール飲みに来たり温泉入りに来たりする人です。一日千人を超えています。ここも、白山市十一万人の中で、年間四十万人の来場者があります。
こうやって、実を言うと、いろんな人を排除しないということです。もちろん、外国人労働者というものを進めていくということは非常に大切なことだと思いますが、まだまだ、高齢者あるいは障害者、活躍できる人たちは山のようにいます。そんな宝物を掘り起こしていくということが、実を言うと、掘り起こしていくというよりは、そうでない人たちも元気になるということなんですけど。
これは、能登の輪島のプロジェクトです。今、私たち佛子園と青年海外協力協会、年間千人の帰国隊員がいます、途上国から帰ってくる。その人たち、若者たちを今全国に振り分けながら、こういうごちゃ混ぜの町づくりを支援しています。今、来年ぐらいから更にこういったところが共生のモデルとして展開されていくということになります。
これは輪島のサービス付き高齢者住宅なんですね。これも見ていくと、ただ住む場所をどれだけ造っても駄目です。そこに必ず人が集まる場所がないと。
これは能登の切り子の様子です。これはサ高住のパブリックスペースですけれども、地元の人が入り込んで毎日のように関わっている。そうすると、だんだんこうやって会話が弾んで皆さん元気になっていく。この左の方は、私も元気になってきたので働きたいと言って、こういう共生拠点の中のそば屋さんで働き始めました。家賃が六万、七万ぐらいで、このおばあちゃんは、もう今八万ぐらいもらっていますので、もうそれだけで年金暮らしでもやっていける話になります。
これは先ほど紹介させていただいた日本海倶楽部の農福連携ですけれど、これは能登カボチャといって、能登のオリジナルの野菜なんですね。ところが、高齢化しまして、この小豆カボチャというすばらしいカボチャを生産する農家がどんどん減ったと。それを、今度は障害のある人が労働として、そして体力が衰えた高齢者は技術を伝える側として一緒に助け合うと、今まで排除を受けてきた高齢者あるいは障害のある人たちがこれだけのものを作れる。今、ここは生産ナンバーワンです、奥能登で能登カボチャ作っているナンバーワンになりました。
これは鳥取南部町の柿の木です。柿の木は、もうやはり非常に付加価値の高い柿を作る南部町なんですが、跡継ぎがいないということでこの木を切ろうとしていたんですね、何百本も。なぜかというと、ほったらかすと虫が湧いて結局周辺に被害が出るわけで、切らなくてはいけないと。いや、それだったら高齢者や障害者みんなで守っていこうということで、こういったことを防ぐ。
これは、やっぱりこういった飲食店をやっていた人が非常にすばらしい技術を持ってこういうシフォンケーキとか作っていたんですけど、やっぱりもう疲れたと。そこで、やっぱりいろんな人たちがこれを支えることによって事業承継できる。
これは半蔵門にあるラーメン屋なんですけど、やはり家賃が高くて、でも非常においしい、こんなすごいおいしい麺を作るんですけど、今度輪島に移住して、この技術を持って事業承継していくと。
こんなことが、実をいうとごちゃ混ぜの中で可能性、日本を支えていく可能性として十分あるんではないかと。
そんなことで、今、生涯活躍のまちというのが、これちょっと古い、もう新しいデータがもう一つあるんですけど、百十四団体がこの生涯活躍のまちというものを進めようとしています。創生交付金が下りているのはこの色が付いたところですから、この二、三年でいろんな形で表に出てくるんだろうなということで。
このごちゃ混ぜというその、まあ共生社会とか地域包括というのは、僕は非常に限定的な意味を持っているというふうに感じます。地域包括というのは、子供やあるいは高齢者や障害者、そういった社会的な弱者と言われた人たちを支えるサポートを集めるというイメージがありますが、実を言うとそれだけでは元気になりませんし、何よりも我々は福祉や医療のプロなので、福祉の側にも問題があります。どんなことかというと、自分たちは専門家だというおごりみたいなものです。自分たちはサービスを提供する側、あなたたちはされる側という形になると、必ずサービスを受ける側だという人のメンタリティーは下がります。どんな状況にあっても、必ずその人が役割があるというよりは、役割があるというと役割がないということにもつながるので、機能しているという、そういった形があるのかな。
先ほど一番最初に御紹介させていただいたあの重度心身障害の方、お母さんはやっぱり泣いていましたね。私はこんな子を産んで、本当にこの子はもうずっと世の中の厄介になっていくばっかりだと思っていた、ところが認知症のおばあちゃんを元気にするということがあって、私は本当に救われました。
いろんな人たちが役割を持っている。それは、日本人に限らず、たくさん今度やってくる外国人労働者の方々も、やはり言葉あるいは文化の違い、そんなものを超えてやっていくには、日本の地域がやっぱり元気でなくてはいけない。
人生百年時代で、必ず、もちろん、今、二〇〇七年に生まれる子供たちの過半数以上は百七歳以上生きるという、「ライフ・シフト」にそういったデータがありますけど、それはもう現実ですね。今生まれてくる子は更に百十歳ぐらい、半数以上は百十歳以上生きる。そうすると、そこまで延びていく寿命を、今度は質の高い地域が元気な状態を支えながら持っていく。そうすれば、今まだまだ人が少ないと言っていますけれども、私たちはまだまだやれるんじゃないかな。
私たちはやっぱり障害の重い人たちから入った施設ですので、本当にその人たちの可能性を探してきました。私も施設の中で小学校四年生まで住んでいましたので、やっぱりよく不必要な扱いを受けることも多々ありましたけど、まだまだ可能性があるというふうに思っています。
外国人の方々も、それから障害のある方も、あるいは認知症の方も、あるいはがんにかかった人も、いろんな人たちが役割を機能しながら地域の中で支え合っていくというようなことが、今、世界で一番少子高齢、人口急減を迎えている日本がこの局面を打開する方向性を見出せば、これに続く台湾、韓国あるいはシンガポール、そういったところに対して更に我々が国際貢献できるような、そういったスペースも生まれてくるのかなと思います。
ちょうど時間となりましたので、終了したいと思います。
御清聴どうもありがとうございました。
○参考人(中川悠君) 皆さん、じゃ、よろしくお願いします。ちょっと意気込んでしまいまして、とてもボリューミーな資料を作ってしまいました。二十分で収められるように頑張りますので、よろしくお願いします。(資料映写)
今、雄谷さんがお話をされたシェア金沢とか金沢の事例に比べると、かなりちっちゃなというか、とても現場主義なお話でございます。
最初に、前段としまして障害者福祉の中で挑戦してきたことをお話をして、最後の方に地域食堂というお話に持っていきますので、少しだけお付き合いいただければと思います。よろしくお願いします。
ざざっとプロフィールを書いておりますが、少し変わった経歴を持っておりまして、母方の祖父が大阪で精神病院を営んでおります。父親が身体障害の方の義肢装具、義足とか義手を作る技術者だった。その息子が雑誌の編集者だったというよく分からない経緯なんですが、なので、企画ができるとかデザインができるというところの力を何か障害者福祉であるとか社会の困難なことに対して使えないかというようなことをやってまいりました。
一つ目の社会課題です。福祉施設で働く障害者のお給料、工賃が低いというお話です。これはよく知っていらっしゃる方も多くいらっしゃるかもしれませんが、こんな感じです。
B型施設というようなものなので、A型、B型、就労移行、働くところは三種類ありますが、全国的な平均値が一万五千円、月二十日間施設に通ってもそうなる。このお金は何から算出されるかというと、施設が得た収入、例えばパンを作る、作業をする、の収入から原価を引いた残りの利益を来た方々で分配をするんですね。結論的に言うと、施設自身の収入が低いからこそこうなってしまう。
何を隠そう、大阪府、我々が動いている大阪府は全国ワーストワンです。横に全国の情報を付けていますが、北海道が一万八千円台、岩手県も一万八千円台。正確な言葉ではないですが、やはり向こうの方には農作物とか漁獲というのがあって、加工ができる世界がある。対して大阪は、パンを作ってもクッキーを作っても、目の前にコンビニがあったりとかスーパーがあったりもする。なので、独自のものをつくるのはなかなか難しい、だからこそ、内製というか軽作業の方に行ってしまって工賃が低いというふうに考えられています。
その中で、ざざっと時間がないので先に行きますが、二〇〇九年、約十年前からいろんな取組をつくりました。
パンを作って売れないという悩み事を持っている施設と関わって、じゃ冷凍のロールケーキを作りませんかということをしました。パンを作って売れなくて捨ててしまうのではなくて、物を作って、ロールケーキを作ってすぐに冷凍庫に入れる、注文があったら出すということをすると、比較的きちっと売れました。問題点としては、障害者福祉職員が障害者さんがお休みになったときに自分たちが製造に入らなきゃいけないというところを、きちっと冷凍という時間の制限を使うことで、就職率が年間六倍に増えたということがありました。
飛ばします。
電子書籍スキャンプロジェクトというのをしていまして、これは、スマートフォンが出てきた、これからPDFの時代だ、電子書籍の時代だという中で、障害者福祉施設がスキャナーを取り入れて、本当にこれ原価は安いんですが、全国から集まった論文とか書籍等々をスキャンしてPDFで送り返すというような事業をつくりました。これも八年間続く中で結構ないろんな実績はあったんですが、飛ばします。
最後、お墓参り代行サービスというところもやりまして、これはすごいんですよ、対人じゃないので、知的障害の方も精神障害の方も非常に良い。一つのところは九千五百円でやっています。二、三千円がお花代で、五、六千円手元に残る。福祉施設のからくりでいくと、そこに随行する福祉職員のお金は支援費、報酬という国費で見られます。車代も国費で見られます。要は、原価の掛からない、しかも高付加価値なものをつくるとこんなに良くなるのだということで、画面の中にありますが、数か月たつと、お墓の土地を買いました、種が飛んできます、草ぼうぼうになります、それを二、三時間掛けてゆっくりと仕事をすることで比較的高いお給料をもらうことができるというようなことをつくりました。
二つ目の課題、黄色い世界に行きますが、済みません、資料が多くて。
福祉施設で働く職員は支援のプロであるが、営業、製造のプロではない。今、雄谷さんのお話でも福祉職員自身が持っている課題というのがありますが、彼らは支援のプロですが、営業、製造のプロではない。例えば、ビジネスモデルは間違っていない、でも、我々外部の者が関わった期間だけ状況はプラスになるが、離れると、やっぱり営業ができないとか企画ができないというところはどんどんどんどん元に戻っていくというのがありました。
ちょっと悪口にはなるんですが、精神保健福祉士、社会福祉士という福祉職員がパンを作る、軽作業をつくるというのが一般的ではあるんですが、彼らは製造のプロではないというような問題がある。ビジネス能力、もちろん支援能力は高いがビジネス能力は低いとか、ここで言うのもあれですが、厚生労働省は、工賃、お給料を上げていきましょうということが自立の一歩だというふうに言っている。
私は、いろいろ調べまして、例えば精神保健福祉士を学ぶ専門学校のカリキュラム、ざざっと事例だけなんですが、ここの中には製造も改善も営業も企画も広報もありません。でも、彼らは疑問を特に思わずに、福祉施設に入って、パンを作ったり製造の中に入っているという少しずれた世界があります。
これもどういう捉え方をしていいか難しいんですが、偏差値というもの自身が決して社会福祉学の中では高くはない。これは捉え方が非常に難しいんですが、障害者福祉の社会福祉の中の発展を考えると非常に難しい問題だなと考えています。東京の偏差値も入れておきました。
では、じゃ自分なりの施設を造ってみようということで、二〇一四年、造ったのがB型作業所のギブ・アンド・ギフトというものでした。これは大阪の都会の中にあります。淀屋橋という町、一つ上の駅が梅田、要は大阪駅です。その一つ下の町、オフィス街ですね、淀屋橋、本町、堺筋本町、北浜のちょうど中心地に造るということで、ほぼ全員が電車で通勤をします。ほぼ全員が大阪市の内外から集まってくるというような少し変わった造りをしました。一階がカフェスペース、これは福祉と言っていません。二階が厨房施設、三階が軽作業というエリアです。
考え方の図表が今画面に出ていますが、郊外型の施設の考え方でいきますと、辛辣なことを言っていますが、ビジネス経験の浅い福祉職員が商品を考案し、マーケティングということがなかなかなく商品を作られて、流通力と販売力がなく工賃が低いまま、でも、都会の中で作るには、例えば、うちの生産品は、カフェメニューは管理栄養士がちゃんと入っていますよとかどこそこ産の野菜ですよということのブランディングが必要になる。カレー屋さんも非常に多い町なので、例えばカレー一つについても、どの金額でどの辛さかを考えていくと、やはりオフィスのランチタイムには行列ができてすぐに完売をするようなお店になりました。高い方では月々三万円、通常の倍の金額になる、我々、B型施設は約三万円を目指して活動するというのがあるんですが、ということになる。こんな風景ですね。ちょっとおしゃれめな感じとか、製造、顔を隠していますが、こんな感じの空間。
「こんなハッピーを生み出しました。」というものに関しては、都会で電車で通勤をするので女子がどんどんおしゃれになっていきます。メークをし出します、夏はスカートが短くなったりもします、男の子は余り変わりません。例えば、電車で都心に通う力を身に付けます。これは、彼らが就職をするときにほぼ、必ずではないですが、都心の方が仕事が多い。これから縮小な日本になっていく中でいくと、都心にやっぱり仕事が集まっていく可能性を考えると、やはり都会に通う力が必要になる。手掛けた料理が、福祉カフェは結構時間的余裕がある施設が多いんですが、やはり忙しい。ちゃんと作ったものを食べてもらっているという実感値からの責任感も出る。オフィス街、中心地は就職先も多かったりもするので、就活をしやすくなるというのがありました。
しかし、残念ながら、昨年十二月に大阪、結構激しい地震がありまして、建物が古い建物を使っていたものですから、少しこの場所を離れなきゃいけなくなって、少し閉じた、移転をしていたというのがあります。
本来はここからではあるんですが、産業を取り巻く経済も縮小しているんじゃないか、いろいろなことをやっているんですけどね。小さな経済で回る障害者福祉は、もしかしたら縮小する産業、後継者不足であるとか人が雇えないというものの担い手になるのではないかということで、京都市とともに伝統工芸の跡継ぎをつくるというちょっと変わった取組もしています。
画面上には全国の繊維製品の伝統工芸品の産業の経済的な推移がありますが、京都の中でいくと、西陣織は、これは公称になるんですが、昭和三十年代を一〇〇とすると今が三と言われています、生産量が。今、いろいろな世界と関わっておりますが、職人さんの平均年齢が七十歳を超えてきている。となると、あと五年ぐらいで結構多くの伝統産業がなくなってしまうのではないかということを言われています。今彼らが抱えている問題は、先ほどのお話にもありましたが、後継者の問題、あとは、どうやってその仕事を発注していいかが分からない問題があります。
一つは、ろうそくの話です。和ろうそくといいまして、植物性のろうそくなんですが、今我々がよく見知っているのは石油ろうそくです。今、神社仏閣は石油ろうそくからLEDに変わりつつあります。なので、消費額はどんどん減ってはいるんですが、そうすると職人さんはどんどん辞めていってしまう。このろうそくに絵を描く人が本当にいなくなってきていて、それを、例えば絵を描くのが上手な障害者さんだと描けるんじゃないかというような取組が、これは二年前の事例です、始まりました。
我々は現場に入りまして、どういう工程で作っているかということを福祉的な見識で物を見て障害者さんができる状況をつくっていく、がありました。結論的には、いろんな体験会をしたりとかいろんな施設をつなげる中で、一人精神障害の方が職人として雇用されたというようなことがありました。二年目、去年になりますが、それは京鹿の子絞りというものの糸入れとか絞り、くくりという作業自身の跡継ぎさんがどんどんいなくなってくるというところをやったりもしています。
四つ目の課題からが今日のコミュニティーというところになるんですが、今までの前段、工賃が安いであるとか後継者不足であるかというところを、一つ、空き家の問題、高齢者の孤食の問題につなげていくことができないかということが今の話です。
杉本町、大阪市住吉区にある町で始まりましたちっちゃな取組なんですが、空き家はどんどん増えている、それは周知の事実です。大阪市内は百件につき十七件あります。大阪府住宅供給公社というところから、福祉の力で空き家で高齢者の孤食支援ができないかという相談がありました。地域で食事作りをしている障害者施設は比較的多いので、その施設と組んで高齢者の応援ができないかというような取組を始めようと、昨年の八月から始まりました。
物件はこんな感じです。本当にマンションの一〇二号室、一つの部屋なんですが、この物件、結構難しい状況で、七十一部屋ありまして二十部屋が空き部屋です。高齢者優良賃貸ですね、優良賃貸の物件が多いので、六十五歳以上の方が三十四部屋、単身者が十九名。これから時代がどんどん五年後十年後になっていくと、どんどん人が減っていく。十年間ここは横のコミュニティーがなかったという物件をモデル事業として動き出しました。
同じ図表を使っていますが、こういう場所を株式、NPOが関わっていくと、やはり提供する食数が少ないのでなかなか収益が出ない、そうすると人はどういうふうに雇うんだろうという問題になる。これを、地域の障害者福祉施設があると、先ほどのお墓参りの事例に近いんですが、支援員自身は福祉施設が雇っている、障害者の方々はそのお給料をもらうことができるというので、比較的ちっちゃな経済で回り続けることができるのではないかというのをやりました。
今、毎週三回、昼御飯を三百五十円で提供しています。多世代の交流ということで、地域にある大学が二つあるんですが、そんな彼らが手伝ってくれたりとか。パソコン教室してほしいわとか、補聴器修理してほしいわみたいなことがあると、我々が横のつながりでこのようなことをサポートしたりもしています。
ちょっと社会背景を飛ばしまして、風景はこんな感じです。本当にマンションの一室なので、地味なんです。ここのお給仕さんというか、ウエイター、ウエイトレスを障害の方がやり、お料理を作っています。そこに対して、日々十二時から十四時までの間、高齢者の方が続々と食べに来るという風景があります。中では、こんな御飯がありますよであるとか、最初四百五十円だったんですが、男性の単身の方を誘ってあげたいからもっと安くしてくれというところから、金額が少し下がりました。こんなイベントをしています、イベントも簡単なんですが。
中で一つだけ面白かったのが、おばちゃんが一人現れまして、私たちは死ぬまでにもらえる年金がもう決定しているんだと、なのでもう五千円でも一万円でも何かお仕事をしながら役に立ててお金を稼ぐことができたらとてもうれしいと言われたので、京都の職人不足というところのお裁縫、糸入れという仕事を試験的にお願いをすると、おばちゃんが続々と集まってきていて、みんなで仕事をしていくというのがありました。
いろんな声がありました。人生の恩返しとして、障害のある方ともっと関わりたいわというおばちゃまがいたりとか、ずっと耳が聞こえなかったけど、話を聞いていくと補聴器が修理していただけやった、でも直し方が分からない、なので一緒に調べたとか、株式が運営母体やったら絶対信じへんかったけど、NPOで障害者関係だったからこそ信じることができたとか。
その最後に、五つ目の課題があります。これは提言というか提案なんですが、地域には空き家がたくさんあります。孤食に悩む高齢者もたくさんいます。障害者福祉施設もほぼ必ずあります。でも、食堂の担い手が存在しない。それらをつなげたら、結構いろんな地域でその地域の孤食支援の食堂ができるんじゃないかと考えました。
これは、子供食堂がめっちゃ増えたという話と、ただ、場所の問題、人の問題がなかなかうまくいかなくて、やめてしまっているものが増えているというような事例の紹介になります。
でも、実際空き家が多いが、地域の障害者福祉施設にお話をしに行っても、なかなか新しい食堂を経営したいという方はなかなか存在をしなかったというのがありました。ステークホルダーとしましては、こんな方々がいます。障害者の福祉職員であるとか行政職員であるとか企業とか、障害者の状況を変えていこう、良くしていこうというようなマインドを持つ方はこれだけいらっしゃいますが、次のページにありますように、なかなかそれぞれが前向きに動き出すことが難しいというのがあります。ちょっと悪口になるので、読み飛ばしていただければと思うんですが。
今、新しい取組で、今のステークホルダーの中で唯一、障害者福祉を前に動かすために鍵になるものがある、それが、今注目をされていますが、企業の法定雇用率の達成。
これは本気でそれを達成したい方と、本気じゃなく利便性のために達成したい方が多くいらっしゃるのは分かるんですが、いろいろな企業から相談受ける中で、彼らはハローワークしか求人の方法が分からない、でも、我々は福祉施設なので山ほどの施設を知っていて、就職したい方を知っている。だから、そこがつながっていない、じゃ、ここをつなげることができれば、何か地域のコミュニティー活性化の担い手を生み出すことができるのではないかと考えました。
次は、離職が多いであるとか、労働条件、人間関係の悪化による離職が多い。要は、企業側が障害者の方々をきちっと雇用し、彼らの仕事をつくり出し、中の人間関係を生み出すのはなかなか難しい。
今、取組を始めている新しいものがありまして、これが、企業の障害者雇用の方々を企業さんがお雇いし、その方々が地域食堂の担い手になる、出向させるというようなモデルができないかということを今、新しく動き始めています。
繰り返しになりますが、課題としましては、企業は障害者を雇用したいけど、仕事の切り出しと雇用管理が難しい。では、障害者さんをお雇いしなきゃいけないのであれば、その彼らを雇っていただき、その本社で採用した障害者は地域の食堂に勤務をして地域の担い手になる。
実際、事例も生まれていまして、企業の中でなかなか難しい、いろいろいじめに遭ったという方々が多い中で、福祉食堂に入ると、やはり高齢者の方々は、他世代と話ができる、自分自身が料理ができる、調理、清掃ができる、洗い物ができるであるとか、いろんなことができる。そんな方々を、ちょっと飛ばしますが、こういう流れで今、雇用し始めています。
ちょっとこういうような取組をしておりまして、最後に行きますと、実際に我々はいろんな取組をしてきました。工賃が安いであるとか担い手がいないとかという中で、今、社会保障費の中で唯一、障害者というもの自身が持っている社会保障自身を一つの鍵にすることができれば、地域食堂の担い手ができる。でも、それ以外のものはなかなかないんですね。ボランティアもNPOもなかなか続けることができないという中で、まとめとしましては、空き家、高齢者が増えていく中でニーズは増えていくであるとか、コミュニティーが生まれていくであるとか、食堂の担い手の中では小さなビジネスを作っていかなきゃいけないというのがあります。
最後に、企業の障害者雇用を地域食堂に生かせれば企業の悩みも解決して食堂の持続可能な人材を獲得ができるというのと、これは一つ、僕自身の思いでもありますが、障害者の方々が相談ができる窓口、働いた後の窓口は多くあれども、企業の人事担当者の窓口がない。なので、これがつくれないかということを強く思っています。
済みません、時間をオーバーしてしまいまして。ざっくばらんになりましたが、ちょっと今、地域の中でこつこつと動いている事例を駆け足でお送りしました。地域の食堂自身が必ず増えていく、でも、担い手がいない中で、僕自身、障害者福祉というものをつなぎ合わせればいろんな課題が解決できるのではないかと思っております。
御清聴ありがとうございました。
○会長(増子輝彦君) ありがとうございました。
以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
三人の参考人の皆様、今日は本当に貴重な御意見いただいて、ありがとうございました。
まず、野口参考人にお伺いをいたします。
参考人の資料を読んだ中に、一九九〇年代からの失われた二十年の中で、地域間格差、あと世代間格差、そして所得間格差が広がって、リーマン・ショックを受けて正規から非正規の転換が進んでワーキングプアが生み出される、こうしたことがある中で、家計の崩壊がコミュニティーの崩壊につながったというふうに述べておられる部分がありました。この経済的に弱っていたところにあの二〇一一年の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きて、被災地では二重の被害を受けるということになりました。
私は福島県の出身なんですけれども、あの原発事故によって、その避難によって地域でのコミュニティーが壊されたと。そもそも、コミュニティーの中における人々の結び付きが非常に強い地域だったということもあって、それだけに失ったものの大きさというのは計り知れないなというふうに感じています。だから、それに伴う精神的な苦痛も含めてコミュニティーの喪失というのは重大な被害です。
今、被災地では災害公営住宅などの孤立死などの痛ましい事件が起きていて、でも、現場ではその孤立死を防ごうということでいろんな努力が行われているわけなんですけれども、そのコミュニティーを再建させるということが命に関わる課題の一つになっていると思っています。
被災地の復興を進める上でコミュニティーの果たす役割についてどう考えておられるのかということと、あと、コミュニティーの確立のために政治がどういう役割を果たす必要があるとお考えかということをお聞かせください。
○参考人(野口定久君) 今、まあもうすぐ三月十一日になるわけですけれども、私は、今の災害の、先ほど申し上げましたように、今日本は災害列島になってきているわけですから、こういう大災害がこれからも頻繁に起こってくるわけですね。
そのときに、やはり今までは、避難所、それから仮設住宅、それから復興住宅というような、こういう、私たちで、居住福祉学会でも言ったように、これ単線の復興なんですね。その中でコミュニティーをつくっていきましょうということなんですけれども、私どもはその被災された人たちや地域の生活を再建していくということが重要だと思っております。まあ雇用ですね、働く場、それから住宅、それから健康等、こういうようなことをセットとして支援できる体制をつくっていくということだと思うんですね。その中に、私は、コミュニティーをつくっていくということが含まれるのであって、今はそこのところでコミュニティーだけをつくっていこうとするから、冒頭言われましたように、家計のところが非常にもう、つまり生活が成り立っていかないところは、これは日本社会がやはり貧困や格差というのが想像以上に今膨らんできているということだと思うんですね。これはOECDのジニ係数で見てももうはっきりと出てきているわけなんで、その辺りが地域の中で出てきた、元々あるところに、災害が起こったときに、そこが生活もコミュニティーも崩れてしまうというようなことになるので、そこのところを、今、地区防災計画というのを立てなければならないわけなんですが、地区防災計画の中にそういう生活再建やコミュニティーの再建ということを、常日頃から、平時のときからそれを入れていくということが重要ではないかと思っています。
○岩渕友君 ありがとうございます。
次に、中川参考人にお伺いをするんですけれども、就労継続支援B型事業所の運営に取り組んでおられるということで、先ほど御紹介もありました。
冒頭に、賃金が非常に低い実態があるというお話もあったんですけれども、報酬改定の影響で減収になったという話もいろいろ聞いているので、その基本報酬の見直しが必要なんじゃないかなというふうに考えるんですけれども、参考人はどのようにお考えでしょうか。
○参考人(中川悠君) 大体月額一万五千円ぐらいが平均工賃が出ているところは、報酬改定後も余り状況は変わらないと思っています。パーセンテージが今すぐには出てこないんですが、それより低いところが圧倒的に多くて、そこが減算という世界の中にいるというのが僕らの中の体感の基準値なんですね。
じゃ、その低いところが、その工賃と仕事づくりなんですが、実際のお仕事をつくっていけるんだろうか、つくれる体制があるんだろうか。恐らく多くの福祉施設はその状況にないと思っています。これは、僕自身も結構全国いろんな施設に行かせてもらった中でも状況は余り変わらないので、減算が締め付けなのかというのはいまいち難しいんですが、そこなのかなと思うところはあります。
ちょっと駆け足になってしまった説明の中では説明できなかったんですが、淀屋橋という都会の施設をつくったときに三万円の工賃を払われた方がいらっしゃいました。複数名おられて、僕は、三万円になったらおのずと就職したいと言うと思っていたし、そこに障害者年金も入るので、独り暮らしをしたいと言う人が誰か出てくるやろうと思ったんですけど、いなかったんですよ。結局、工賃というものとその生活とか、工賃というもの、就労というのは僕の中では余り結び付きがなくて、それより、料理をすることができたとか洗い物ができた、掃除をすることができた、人とコミュニケーションができた、親亡き後に多世代と話す能力が身に付いたとか電車に乗れたとかの方が、僕は生きる力と言いますが、圧倒的にその方が就労に結び付きやすいんですね。数値的には難しいんですけど。
なので、工賃じゃないのではないかと僕自身は途中から思ってきたので、減算をしたり締め付けをするか、もう少し軸の考え方を見直すべきなのではないかなと思っている感じです。
○岩渕友君 ありがとうございます。
そうしましたら、もう一度野口参考人にお伺いをするんですけれども、先ほどの、原発事故によって避難指示区域の外から避難をされた方たちもいらっしゃるんですよね。その避難の継続を希望する方もいらっしゃいますし、事情があって次の住まいを見付けることができない方もいらっしゃるわけなんですけど、その中で、住宅の無償の提供が打ち切られて、今年の三月末で家賃の補助も打ち切られると。
前回の調査会の中で、住まいの確保をテーマに参考人質疑を行ったんですけれども、住まいは地域コミュニティーの土台だということを確認されたんですよね。その居住権を保障することの重要性についてお考えをお聞かせください。
○参考人(野口定久君) 我々の日本居住福祉学会は、この居住、住居は福祉の基礎であるということをずっとうたっております。やはりそこに住み続けることができるということ、これをベースにしているわけですね。そこの住居の質を保証することによって、そして、そこに社会保障であるとか社会サービスであるとかのところが成り立っているという、こういう考え方を持っておりますので、そういう意味では議員の言われるところを我々も重視していきたい、いくということであります。
○会長(増子輝彦君) よろしいですか。
○岩渕友君 はい。ありがとうございました。