2019年4月3日(水) 参議院 国民生活・経済に関する調査 参考人質疑
(議事録は後日更新いたします)
参院国民生活・経済に関する調査会は3日、「経済・生活環境をめぐる課題と展望」について参考人質疑を行いました。その後続けて、「あらゆる立場の人々が参画できる社会の構築」をテーマに2017年から3年間行ってきた調査活動を踏まえ意見交換を行いました。
日本共産党の岩渕友議員は、雇用の質を向上させることが社会全体の利益につながるとと主張。質の向上を個人任せにせず、守り支える仕組みの必要性について質問しました。甲南大学の阿部真大教授は就労支援に関して、「実際職場にいったら職場がひど過ぎてまた戻ってきたという例はすごく多い」と指摘し、個人への支援だけでなく、企業など雇用する側への対策の必要性を述べました。
続いて岩渕氏は、女性が働き続けるために政治が果たすべき役割について質問。東京大学大学院人文社会系研究科の白波瀬佐和子教授は、男女間で機会が限定的であった過去と現状に触れ、「最終的な意思決定の場に参画するという目標のために、(女性を)優先的に登用し、配慮する状況も政治的には適当」と答えました。
引き続く意見交換で岩渕氏は格差と貧困の解消に関して、〝住まいは人権〟という観点での住まいとその質の確保の重要性、地域活性化に資する地産地消の自然エネルギーの役割の重要性などを指摘。憲法25条が定める〝健康で文化的な最低限度の生活を営む権利〟をどう保障していくのか、政治が責任を果たすべき、と主張しました。
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○参考人(高田創君) 初めまして。私、みずほ総合研究所の高田と申します。今回は、大変貴重な機会をいただきまして、どうもありがとうございました。
それでは、こちらにございます、格差から見た日本経済ということでお話をさせていただければと思います。(資料映写)
一言で格差と申し上げますけれども、実は様々な視点があるのではないかというふうに我々感じている次第でございます。たまたまこちら、今御覧になっておられるところでございますけれども、ちょうど私、今手元に持っている本がございまして、ちょうど二年前に出した本なんですが、「データブック 格差で読む日本経済」という岩波書店から出したものがあるんですけれども、実はここで格差に関わる八つの通説を取り上げまして、なかなか実態と異なる部分があるんじゃないかというようなことをここに書かせていただいているということでございます。
ここにございますような幾つかの論点、欧米とは違うんだということもございますし、また、不況になると格差が広がるかというような見方もありますが、実際、必ずしもそうではないのではないかという点、この辺のところの論点につきまして、今日は幾つか解きほぐさせていただければなというふうに思う次第でございます。
それでは、まず最初に、まず全般的にグローバルな格差ということをちょっとお話をさせていただこうかなと思います。
実は、この格差の問題は日本にとどまるわけではございませんで、今や世界に共通として流れる潮流と言ってもいいのかもしれません。この辺をちょっと見てみたいと思います。
例えば、今から三年前でございますけれども、ちょうど、非常に、何というんでしょうかね、想定外といいましょうか、というようなことが起こりました。これがちょうど三年前、六月のブレグジットであり、また、トランプ大統領が登場するということだったわけでありますけれども、実はこうしたものの背景にも格差というものが存在したんではないかということでございます。すなわち、世界各地で近年格差問題が非常に問題化しておりまして、政治、社会の不安定化、またその排外的な思潮の広がりというようなもの、こうしたものがイギリスにおいてはブレグジットということでもございましたし、またアメリカでは事前の予想を覆してトランプ氏が大統領になるというようなこともあったわけであります。
こうした潮流でございますけれども、ちょっと絵で示させていただきましたのがこちらのところということでございます。ちょうど国際的な格差問題、先進国においても新興国においても格差が拡大をしている、その構造をちょっと絵にしたのがこちらの絵ということになるわけであります。すなわち、冷戦の終結、また経済グローバル化、また新興国が台頭する中で、どうしても所得や資産が偏在が進行したということであります。
上のところにあります先進国におきましては、一握りの富裕者層に富が集中するというような状況で、その結果として中間層の没落、縮小が起きた。トランプ現象なんというのはまさにそういったことだったわけですね。また一方で、この下のところにあります新興国といったところにつきましては、経済発展の影響が富裕層が出てくるということでありまして、中間層は拡大するわけでありますが、なかなか貧困から抜け出せない底辺層というものもできてしまうと。こういう二極化的なところが今動いているということであります。
また、歴史的に考えたのが次の五ページ目ということになるわけでございますけれども、こちらにありますこの五十年間といいましょうか、七〇年代以降の金融の時代という中でやはり大きな格差が出たのではないかというのがここでの問題意識であります。
中でも、七〇年代以降、変動相場制になる中で非常に市場化をしていくということ、そして八〇年代の後半にはベルリンの壁が崩れ、二〇〇〇年代以降、新興国も加わると。みんなが、いわゆる従来の東と言われたところも、また東西南北の南側と言われたところも市場化する中で、どんどんと世界的な格差が金融を中心とした潮流の中で拡大したというふうに考えることができるのではないかと思うわけであります。
これをちょっと具体的に見たのが次のページということになるんですけれども、こちらは、金融資産と世界全体の経済というものとを比較したものということなんですが、最近よく金融の世界で尻尾が犬を振り回してしまう時代というふうに言われることがございます。すなわち、金融資産が実物資産を大幅に超える世界が生じてしまったというふうに考えることもできるわけであります。
先ほど、七〇年代以降、この五十年間と申しましたが、その起点となる八〇年代までというのは、ここにあります絵で見ていただきましても、金融資産と実物経済、ここではGDPにしておりますが、ほぼ一対一だったわけですね。これが二〇〇〇年代になってまいりますと、金融資産の方が実物資産よりも三倍多い一対三の状況になる。特に、二〇〇〇年代の後半には、一対三・五まで金融資産が大きくなるというような状況になったわけでありまして、こうした問題が十年前、百年に一度と言われたリーマン・ショック等につながったわけでもありますし、また、こうした中での世界的な格差問題というのが広がったというふうに考えることもできるわけであります。
皆さんもよく覚えておられますのは、五年前でございますけれども、ピケティという人の本が、こんな分厚い本だったんです、結構有名になった時期がございました。この本自体は、「二十一世紀の資本」という本だったわけでありますけれども、資本主義がその中で格差の拡大のメカニズムを内包するんだというような絵でございまして、こちらにあります絵はこのトーマス・ピケティのものから取ったものなのでありますけれども、ちょうどこの格差が拡大するのがトレンドとして描かれているんではないかと、そんなことが言われたわけであります。
こうした状況の中で、このグローバル化、それから格差、貧困の拡大の中で、いわゆるポピュリズムでありますとか地政学リスクというものが生じたということであります。
先ほど、ブレグジットであり、トランプ現象といったことも申し上げたわけでありますけれども、先ほどから一貫して言えるのは、このグローバル化、テクノロジーの発展の中で、先進国の中で中間層が担っていたところがなくなってしまう、また一方で、貧困を背景として、移民それから難民というもの、こうしたものと先進国の中間層の没落と重なりまして、政治、社会の不安定化、そしてポピュリズムな動きが出てきていますし、また地政学的なリスクというものも広がったんだということになるわけであります。
こうした状況の中、低所得者層や貧困層にも恩恵が及ぶいわゆる包括的な成長、インクルーシブグロースというものへの関心が結構高まっておりまして、今年はちょうどG20が日本でも開かれるわけでありますけれども、こうした中でも重要なテーマになり得ることになるんではないかと私は思う次第でございます。
そういう意味で申し上げますと、実は世界的にこの格差の問題は大きな潮流の中にあるんだと、そういう中で、じゃ、日本はどうかということを次に考えてみたいと思います。
ここでは、データの意味で日本はどんな状況になっているのかというのをちょっとフェアに確認してみたいなということでございます。
まず、格差ということを考える上でよく使われる指標がございます。これがよくジニ係数というふうに言われるわけでございますけれども、こちらジニ係数で見た場合はどうなんだということでございます。日本の所得格差というのは、全体的に見ると先進国の中ではやや大きめというんでしょうか、ここの絵にございますように、OECDの二十六か国の平均よりもちょっと大きいというくらいの状況になっているということでございます。
また、次の絵で一人当たりの所得格差がどうなのかというのをちょっと見てみたいと思います。
左側のところにありますように、一人当たりの所得格差、当初の所得格差は、実はここの、今から二十年ぐらいでも結構拡大をしているというのがお分かりいただけると思います。ただ、再配分をしたもの、例えば税でありますとか社会保障ということを考えますと、再配分後の格差というものは縮小しているというようなところにつながっているということでございまして、必ずしも大きな所得格差が出てきているというわけでは少なくともこの絵からは見えないということでございます。
ただ一方で、いろんな角度から見る必要があるわけでありまして、次の絵のところにございますように、年齢階級別に見ておりますと、高齢者の所得格差が大きいということが、例えば左側、年齢が上がると格差が拡大するということでお分かりいただけるのではないかと思うわけであります。また一方で、この二十年間で現役世代は格差が拡大をし、これ、右側の絵になるわけでありますが、六十歳以上は逆に、この所得再配分効果がありますので、拡大から格差が縮小しているような状況になっているという部分があるわけであります。
また一方で、この資産の格差、所得に比べてどうなのかということが次の絵ということになるわけでございますけれども、資産格差は所得格差よりも大きいということがお分かりいただけるのではないかと思います。これは、資産、いろんなものがあるわけでありますけれども、例えば住宅とか宅地の場合は、例えばバブル期辺りは実は随分格差と言われたわけでありますが、バブル崩壊とともにその部分は意外と縮小してまいりましたが、一方で、貯蓄格差の方は拡大をしてきておりまして、特に高齢者の世帯の割合の増加から、こうした貯蓄格差の拡大がよく出てきているということでございます。
また一方、正社員と非正規のところの格差というものも見ておく必要があるわけであります。こちらの左の絵でございますけれども、非正規雇用の比率は高止まりをした状況でございます。足下やや拡大は止まったような状況になってまいりますが、一方で、右側のところでございますが、年齢の上昇とともに正社員とそれから非正規雇用の賃金格差が非常に大きくなっているということがお分かりいただけるわけでありまして、これ、私はやっぱり重要な論点ではないかと思うわけであります。特に、この非正規雇用の社会保険、退職金、賞与の適用率というのは、どうしても正社員よりも低くなっておりますので、賃金以外の格差も大きいんだということ、特にこの右側のところの、年が進めば進むほど格差が大きいというのは今後も重要な点として考えるべきところだと思います。
それから、次の絵でございますけれども、こちらが地域別というようなことでございまして、こちらにありますように、大都市の集中、それから地方のところの減少といったところがお分かりいただけるわけでございます。
それでは次に、日本における格差問題、何が問題かということをちょっと考えてみたいと思います。
こちらにございますのが、まず見ていただきたいところが格差に関する一般的な認識ということでございまして、ここでは格差と格差感というものをちょっとキーワードに使わせていただいているわけであります。
どうしてもやはり格差に関する認識と実態との差というものがあるのではないかというところ、それから、どうしてもやっぱり一面的な見方、例えば非正規の雇用はネガティブであるとか、一方で、ばらつきという中で地方の問題、それから変化のテンポが拡大する中での富の集中でありますとか、こうしたようなところというものは、やや現実のものとやや過大に見られている部分というものもあると。それだけに、先ほどから申し上げておりますような、多面的に様々なデータを見て、いろんな角度から見る必要があるんだということだろうと思います。
そういう状況の中で、日本においてはどの部分が格差として重要なのか、次の十八ページのところで御覧いただきたいと思います。
ここでのキーワードは何かといいますと、縮小する中間層、特に低所得世帯が増加をしているというところでございます。これ、左側で見ていただきましても、年収五百万未満の世帯、いわゆる低所得者世帯といったところが拡大しているわけでございまして、特にこの右側のところで、勤労者世帯で見ても、この辺のところがやはり大きくなっているということでございます。もちろん、現在、一億総中流と言われた意識というものがもう大きく変化しているわけではございませんが、この中流の基準がずり落ちている可能性はあるというのは重要な点ではないかと思います。
それから、次のページでございますけれども、年齢階級別の、これここでは男性正社員にしておりますけれども、四十歳代の男性正社員の賃金水準が低下をしている。特にこれは景気後退期に三十代を迎えたといった部分は大きかったかと思いますが、実は、後ほど申します、これ非正規のところも実は非常に重要だというところでもございます。
それから、次の絵でございますけれども、いわゆる貧困ラインという議論がございます。これは一人当たりの所得の中央値の半分ということなんでございますけれども、こちらがやはり共に低下をしているというような状況が出てきているということでございます。
それから、次のところでございますけれども、高齢者の格差の問題でございますが、高齢者の世帯は所得格差が大きいといったところも一つの特徴になっているということでございます。ただ、再配分による改善度は大きいということではございますが、この右側にございますように、高齢者の世帯の場合は、要は有業であるかどうか、要は職業があるかどうかでかなり収入差が大きいんだということも重要なところということでございます。
それから、特に高齢者のところでございますけれども、次のページにございますように、高齢の単独世帯が貧困リスクが高いというのも特徴でございます。特にこの単独世帯は所得が低いということになるわけでありますが、特に女性の単独世帯の場合は、貧困リスク、これ右側のところになっておりますが、五〇%超と極めて高い状況になっているわけであります。
すなわち、今、非正規雇用の比率が上昇している中で、将来、高齢期に貧困に陥る人が増える可能性があるということでございまして、特に就職氷河期に増加した非正規雇用者、この世代の方々が四十代に差しかかっているわけでございまして、この部分が非常に重要なところになるのではないかと思います。
それから、今申しました単独ということでございますけれども、その背景にあるのが次の二十三ページでございまして、こちらにありますように、左側、生涯未婚率という概念なんでございますけれども、特に就職氷河期と言われた九〇年代に男性のところが急速に増えているというのがお分かりいただけると思います。右側にありますように様々な課題が起きやすいといった点は重要かと思います。
それから、次の絵ということでございますが、子供の貧困の問題でございまして、こちらのところ、親の所得水準が子供の教育水準にも影響をする。ここにもありますように、両親の年収が高いほど大学の進学率が高い、いわゆる貧困の世代継承が進むリスクというものがあるという点でございます。
四番目に、こちらに、今後の課題というものを考えてみたいと思います。日本の課題の処方箋は何かというのをちょっと考えてまとめにしたいと思います。
一般的に言われますのは、不況になると格差がと言われるんですが、実際には景気拡大期に高まる格差問題でございます。例えば、一つは八〇年代後半のバブル期、また十年前のミニバブル期ということでございますし、また、足下もアベノミクス推進以降の中で高まっているというのは、実はこうした拡大期、資産格差が拡大する期というところに当たっているということでございます。
こうした格差の固定化というのは確かに経済にマイナス部分というのはもちろんあるわけであります。やはり固定化というものは、消費の減退、それから少子化、また社会の活力の低下を通じて経済にマイナスが起こるわけでございますが、一方で、完全にフラット化するといいのかということになりますと、これもまた様々な勤労意欲というところにもなるわけでありまして、この均衡若しくはバランス、許容範囲がどこかというのを探るということもやっぱり今後重要な課題になるんだろうと思います。
そういう意味では、ここ何年間につきましても様々な部分で対応が実施されてきたということでございまして、その部分を簡単に具体的に見てみたいと思います。
まず一つは、こちらの二十九ページにございますような賃金のところでございまして、政策的に一つは最低賃金の引上げ幅というものもやはり重要なところになってきているということでございます。確かに賃金こうやって上がってきているわけでございますけれども、やはり一つターゲットに置く千円というにはまだまだ先という部分もあるわけでございます。
また、国際比較で見たものが次のところということになるわけでございますけれども、最低賃金を設けている国と比べてやはり日本は低いというのがこの左側でございますし、また一方で、フルタイム労働者に対するパートの賃金というものは、日本の場合、この右側にありますように六割程度と非常に低いわけでありますね。ですから、引上げとともに、また非正規の方々の能力開発、また正社員への移行というものも重要だということでございます。
また、こうした状況の中で最近話題になってまいりましたのがベーシックインカムという議論でございます。先ほどの議論の中の関連でもあるわけでありますけれども、低所得者を支える普遍的な社会の仕組みをどうするのかということで、グローバルにもこうした最低限の対応をしていこうではないかという議論が出てきている。また一方で、こうしたものを余りに平準化し過ぎるのがどうなんだという見方もあるということで、ただ、この辺はグローバルにもいろんな見方が出てきているというところは注目すべき点ではないかと思う次第でございます。
それから、次に教育の問題でございますけれども、こちらの絵にございますように、日本は教育費は高いんですけど支援のところは意外と脆弱だというのがこのグラフのところに表れるわけであります。そういう意味では、高等教育に進学するまでの経済的な負担の軽減をどうしていくのかというのも重要な点ということになろうかと思います。
今申し上げた点が幾つかの論点をいろいろな角度から議論させていただいたということになるんですけれども、最後に若干幾つかの提言みたいなところをさせていただいて、まとめにしたいなと思います。
一つは、ここにございます、家族類型が随分変わってきたという論点ではないかと思うわけであります。
よく、標準世帯という概念は、夫婦と子供、若しくは夫婦と子供二人と言われております。ここにありますように、ちょうど真ん中のところに夫婦と子供というところがあるんですけれども、従来はこれが一番多く、左側のところでは四二%であるわけでありますが、現在は三割を割り、いずれ二割、そして、いずれ単独世帯が最大になってしまうと。もう既にそういう状況になっているということになるわけでありますけれども、となってまいりますと、この単独世帯に、増加した、様々な対応というものが重要になってくるのではないかという点でございます。もちろん、ここにございますような住宅の問題、様々な対応ということもあるわけでありますが、これに関連いたしまして、この単独に対応した対応というものもグローバルにも出てきたということでございます。
たまたま、ちょうど一年前でございますが、イギリスでは、ここに左側にありますように孤独問題担当大臣というようなものもできてきたというような状況でございまして、私は、日本においてもこうしたシングル社会担当大臣的なものも必要になってくるのではないかと。いわゆる家族というものが非常にベースとなる支えであったわけでありますけれども、こうしたものを社会としてどう対応していくかというようなものも一つこの格差の中では非常に重要な点なのではないかという点。
最後の論点になりますが、最後の三十五ページでございますが、日本の場合、この格差の問題というのは、ここにもございますように、中間格差が拡大するだけではなく、中間層がずり落ち、また全階層がシフトダウンするような、ここでいうA、B、Cが合成的に進行している可能性が高いと。
というふうになってまいりますと、日本においては所得の底上げをどのような形で対応していくのかというようなこともやっぱり重要なわけでございまして、こうした日本における特定の、特有の問題というようなところも含めた様々な議論、またそのベースとなるような把握というものも私は必要なのではないかという問題提起をさせていただいた上でまとめさせていただければと思います。
今回は大変に貴重な機会をいただきまして、どうもありがとうございました。今後とも御指導のほどよろしくお願いいたします。
失礼いたしました。
○参考人(阿部真大君) 甲南大学の阿部真大と申します。本日はどうもありがとうございます。よろしくお願いします。
私の方からは、地方の格差を考えるというタイトルでお話しさせていただければと思います。(資料映写)
先ほど高田参考人の方から指摘がありましたとおり、現在、いわゆるグローバライゼーションというものに伴う資本と労働力、金と人ですね、の流動化によって国内の製造業、空洞化しております。いわゆる戦後日本を支えていた分厚い中間層というものが衰退、没落しつつあるという現状認識の方を先ほど高田さんの方からお話しされたと思います。
そんな中、二〇一四年に、今からもう五年も前なんですけど、マイルドヤンキーという言葉が流行語大賞の候補となって注目を集めました。この言葉、当時、博報堂におられた原田曜平さんという人が付けた言葉なんですけど、この言葉をめぐる様々な言説とかイメージ、表象というものが、特に地方の若い人々の格差の問題について考える際、とても興味深い話だと思いましたので、本日はこのマイルドヤンキーというものの表象とその実態についてお話ししつつ、地方の格差ですね、特に地方の若者の格差の問題について考えていきたいと思います。
このマイルドヤンキーという言葉は、マイルドになったヤンキー、ヤンキーって不良少年という意味なんですけれども、まあマイルドになってしまったら不良少年も何もないと思うんですけれども、地方都市に住んでいて、低学歴、低収入ながら地元が大好きで、人間関係を大切にして独特の消費文化を育んでいる若者たちのことを指すわけです。
私が注目したいのは、この言葉がすごくはやっていろんな人に使われたことで、彼らのマイルドヤンキーは幸せだということを強調するような言説であるとか言葉がインターネットを始めとしたメディア上に氾濫したことなんですね。原田さん自身は、マーケッターとして、彼らが幸せかどうかという話については慎重なんですね。だから余りそのことについては語っていないんですけれども、ただし、この言葉が流行語になった途端に人々の間で、いわゆる市民の間でそういった彼らは幸せだという言葉が生まれてきたということにまず注目したいわけです。
具体的には参考資料の方に配らせていただいたものの中で幾つか紹介されているんですけれども、ここでは紹介しないんですけど、まあ簡単に言うと、都会に住んでいて高学歴ながら競争社会にもまれながら生きている自分たちよりも、地方で学歴が低くて貧しいながらも子だくさんで趣味を楽しんでいて家族と仲のいいマイルドヤンキーの方はひょっとして幸せなんじゃないかというような、そんなような言説ですね。そんなようなものがすごく氾濫したということに注目したいわけです。具体的にはちょっと参考資料の方を見ていただきたいと思うんですけれども、ここではちょっと紹介しません。
私、社会学をふだん教えているんですけど、社会学ではやっぱり幸せというものをすごく大切な指標として見ていくわけですね。人々の主観的な幸せというものはその人の所属する、準拠集団というんですけど、準拠集団の中で測られるとされているわけですね。つまり、問題というものはもちろんこれ相対的なもので、誰かに比べて私は奪われていると、誰かに比べて自分は損しているという、相対的剥奪感というんですけれども、それこそが重要であるとされているわけです。
となると、同じような村的な世界、まあ僕も地方出身なので何となく地方のリアリティー分かるんですけど、すごくよく似たもの同士で集まって生きるような、そういう村的な世界に住んでいるマイルドヤンキーである彼らは、例えば、大都会に出てきた大卒の若者のように外の世界を知らない、東京を知らないため、いわゆる同じ生活水準の仲間同士、相対的剥奪感を感じることなく仲よくできるというわけですね。だから、この話自体は、僕はふだん学生に話していても何となく理解できるようで、確かに彼ら幸せそうだよね、こういった言説が流行するのも分かるような気がするわけです。ただしかし、これ格差に関する問題で、このことが本当にそうだとしたら、ある意味社会学の常識をひっくり返すような画期的な発見になるんですね。
ここで一つ皆さんに知っていただきたいのが、アメリカの社会学者のマートンという人の唱えたアノミーという概念です。
ちょっと説明させてもらいますと、マートンは、メディア等を通して、目指すべきリッチなライフスタイル、これは文化的目標というんですけど、こうなりたい、ああなりたいというライフスタイルは喧伝されているが、格差の下にいる貧しい人々にはそれをかなえるすべ、これは制度的手段というんですけれども、がない。にもかかわらず、常に成功せよ、上に上がれという圧力が掛かり続ける状態が続いていると、これ、いわゆるアメリカンドリームというものなんですけど、この状態をマートンはアノミーと名付けたんですね。要するに、ああなりたいけれども手段がない状況、これが問題であると。そうすると、彼らはどうするかというと、合法的でない手段、非合法な手段、制度にない手段で目的をかなえようとするわけですね。マートンはこのようにして、アメリカにおける犯罪発生率の高さを説明したんですね。
ここで、先ほど御紹介したようなマイルドヤンキーはお金がなくても幸せだよというような、そんなような議論が本当だとしたら、日本というのはアノミー論の例外と考えられるわけなんですね。そうだとすると、これ社会学的には大発見なわけです。要するに、格差はある、でも彼ら格差気にしない、なぜなら貧しい者同士生きているから。そうなると、問題の深刻さもアメリカと比べて日本かなり変わってくるわけですね。まず最初にちょっとこのお話をした上で、社会学ではそういったイメージだけじゃなくて実態を見ていくというのが、これが社会学者の仕事なわけですね。
最初に紹介したいのがこの本なんですけど、「日本の分断 切り離される非大卒者(レッグス)たち」という本なんですね。これ、吉川徹先生という方が、二〇一八年、光文社の方から出された本なんですが、レッグスというのはライトリー・エデュケーテッド・ガイズということで、低学歴な人々ということですね。
この本では、階層帰属意識、自分がどの階層に属していると感じているかですね、あと生活満足度、あと幸福感、あと主観的自由というこの四つの指標から成るポジティブ感情のスコアが、二〇一五年に行われた階層と社会意識全国調査を基に示されているわけですね。となると、吉川先生の分析によりますと、ポジティブ感情は若年大卒女性が一番高い、その次に若年大卒男性、若年非大卒女性、若年非大卒男性の順に並んでいることが示されているわけですね。
最終的に吉川先生はこう言います、彼ら、いわゆる非大卒者のポジティブ感情は、比較的幸福、まあ若年層は比較的幸福度は高いんですけれども、中にあっても最も低く、社会的活動については総じて活動頻度が低いと。政治的な理解や関心は弱くて、選挙への参加にも消極的だと。他方で、留学や海外旅行など海外には目を向けない内向き志向が強く、教養や文化的活動への志向も希薄だというわけです。大学進学への志向も当然予想されることながら強くはない、その上、喫煙、飲酒の嗜好が強くて、自らの健康についての日常的な配慮も十分ではないということが、この二〇一五年の調査から分かったということを言うわけですね。
この調査は全国調査でありますので、じゃ地方はどうなっているかということで、続いて、轡田竜蔵さんという現在同志社の先生をやっているんですけれども、彼が吉備国際大学という岡山の大学にいたときに、広島県ですね、三次市と府中町というところで調査をして、その調査をベースにした本の中からちょっとこの点について見ていきたいと思います。
この本でもやっぱり学歴による格差というものは言われていまして、現在の生活水準が一般的家庭と比べて高い方である、又は自分の将来に明るい希望を持っている、今までの人生を振り返って達成感がある、自分は幸せだと思う、毎日の生活が楽しいと感じられると答えた人が、大卒以上が高卒を上回っていることが示されているわけですね。
轡田さんいわく、こういうことを言いますね、学歴による満足度格差は、単に経済的な意味だけでなく、これ先ほどの吉川さんも指摘していますが、もちろん経済的な格差は学歴格差とともにあるわけです。それだけでなく、収入やそういった生涯年収だけでなく、経験値や人間関係などの存在論的な価値を含む格差を意味していると考えられると轡田さんはおっしゃっています。
ここまでは人のしてきたデータを使いながらちょっと話させてもらったんですけれども、私が今研究会のメンバーに入っています、トランスローカリティ研究会というのを今やっているんですけれども、そこで青森二十代、三十代住民意識調査というものをやりまして、これ、つい最近、公益財団法人マツダ財団寄附研究で行わせていただいて、むつ市とおいらせ町で調査を行ったんですね。こちらの方でも余り若い人に絞った住民意識調査というのをやられていないのでやったんですけれども、岩田考さんという桃山学院大学の先生の書いた第六章、「「自身の人生」「日本社会・政治」「学歴・年収」から見たむつ市・おいらせ町の若者」というところの分析で、自分の人生に対する評価が、六項目中二項目、これどの項目かといいますと、自分と異なる世界の人たちと出会う機会に恵まれ、視野を広げられていると思う、あと、自分は人の役に立っていると思うという、その二項目において、いわゆる非大卒が大卒に劣っていることが示されている。一方で、大卒が非大卒の人たちに劣っている部分は一つもスコアとしてはなかったということが示されます。
要するに、どういうことを言いたいかといいますと、こういった実際の統計調査の結果からは、いわゆる低収入、低学歴のマイルドヤンキーの人たちは幸せということは言えないということが分かるわけですね。物すごく分かりやすく言うと、やっぱり学歴であるとか階層というものと幸福度、人生の満足度というものは完全に比例関係にあるということが分かるということが言えると思います。
ここまでがいわゆる実態ということなんですけれども、では、なぜそうでありながらこんなようなマイルドヤンキーは幸せだ論というのが流行したのかということをちょっと考えてみたいと思うんですね。
これには、大都市の人々の事情、いわゆる都会に住む人たちの事情と当の地方に住む若者の事情、両方があると思います。
大都市に住む人々の事情としては、殊、彼らが地方の姿みたいなものに自らの願望を投影してしまうということが考えられるわけですね。これ、社会学ではよく使う議論で、オリエンタリズムと呼ばれるんですけれども、オリエンタリズムというのは、要するに、東洋の人を西洋の人が見るときに、西洋にない美しいものを東洋に見ようとするわけですね。そうすると、例えば、すごく分かりやすく言うと、日本人の女性は家庭的だとかという、そういうすごく分かりやすいオリエンタリズムだと思うんですけど、要するに、自分たちにない何か願望をその地方に投影するというのはよく言われることなんですね。
それはまさしく東京と地方の間でも起きていまして、私、これを押し付け地方論と呼んでいるんですね。去年出させていただいた本で、「「地方ならお金がなくても幸せでしょ」とか言うな!」という本があるんですけど、これは物すごい分かりやすい単刀直入なタイトルだと思うんですけれども。どうしても、地方の人たちというのは人間関係もすごく分厚いし、コミュニティーもあるから、何となく、格差問題深刻と言われるけど彼らは何となく幸せにやっているんじゃないとついつい東京にいると思ってしまいがちであると。でも、実際東京を見てみると、全然そんなことはないということなわけですね。
つまり、地方というのは実際はグローバライゼーションの最前線なんですね。僕の出身である岐阜市の近郊に行っても、物すごく外国人の方増えていますし、実際は東京とか大阪以上にグローバライゼーションの最前線であり、そういった厳しい格差にさらされているにもかかわらず、そこがグローバライゼーションの影響を受けていない昔ながらの田舎、桃源郷のように語られるという、そういった問題は、一方で都会から地方を見る人の視点の側にはあると思います。
一方で、実際に地方の若者たちの事情もあると思うんですね。それがいわゆる犯罪率の低さというものなんですけれども、ここで、地方の若者の格差はこれだけあるわけなので、犯罪率、マートンが言うようにこれだけ高いですよというようなデータをお見せできれば話はきれいにまとまったと思うんですけど、どれだけ調べてもそういうデータは出てこないわけですね。むしろ、現在、犯罪率というと高齢者の犯罪率の増加ということが特に犯罪白書等では強調されているわけですね。若い人に関しては、いわゆる犯罪率というのはそれほどは高まっていないということです。
これがどうしてかということを考えたいわけですね。実際に格差はある。不満は抱えているし、幸福度に関しても格差はあると。しかし、彼らは幸せそうに見えるし、犯罪率も低い。彼らはアメリカの若者たちに比べて真面目なのかということをちょっと考えてみたいんです。
実際に、これもデータを見てみると真面目だということが分かるわけですね。そのヒントを再び吉川先生の「日本の分断」という本の中にこのヒントを求めたいと思うんですけれども、吉川先生、現代日本のレッグス、いわゆる低学歴の若者たちの取っておきの長所として、努力主義のエートス、エートスって社会学の用語なんですけど、心性、メンタリティーというものを挙げているわけですね。
これ、大きな資産を持てるようになるかどうかは本人の努力次第だという努力主義のスコアですね。頑張れば何とかなる、頑張れば階層上昇がかなうというスコアは、若年非大卒男性で一番高いと。そこから若年大卒男性、若年非大卒女性、若年大卒女性の順になるんですけれども、そういうデータを示すわけですね。
また、先ほどの、私も参加しております青森調査の方でも、岩田さんが挙げている分析だと、今後の人生では、無理をしてでも高い目標を立ててチャレンジしようと思っているという問いに対して、学歴で余り差が出ないですね。これ、普通に考えると大卒の方が多分高くなるはずなんですけれども、彼らの方がチャンスを与えられているわけなので、でもそれ差が出ないわけです。
これ、まあマイナス方向で捉えると、いわゆる自己責任論というのが低学歴の人々にも浸透していると考えることができるんですけれども、あえてここではちょっとプラスの方向で考えさせてもらうと、吉川先生も言っているとおり、いわゆる、彼らは実際、現状は結構厳しいんだけど、何かその文化的目標をかなえるための制度的手段がまだあると信じられているということが考えられると思うんですね。それはまさしく、総中流社会であった戦後日本社会の強みがまだ彼らの中のメンタリティーに残っているとも言えるわけですね。
ただ、このままほっておいていいのかと。このままほっておいて、格差がどんどん広がっていって分断状況が長引いていくと、いわゆるこの努力主義というもの、それも失われてしまうと思うんですね。
吉川先生は、今から取り組めば、彼らの心が折れてしまう前に、近未来の社会の軌道修正をすることが可能ですと言っています。
というわけで、最後に、この問題前にして何をすればよいのかという政策的な課題について見ていきたいと思うんですね。
ポイントは、個人を強くする就労支援というものとキャリアラダーの整備、この二つです。これが政策的な提言に当たると思うんですけれども、順に見ていきます。
まず、個人を強くする就労支援ということなんですけれども、なぜ個人というものを強調するのかというと、地方の若者の支援というと、特に地域経済を強くするというような話が出てきやすいわけですね。そうすると、地域先行の議論になってしまうわけです。もちろんそれも大切なんですけれども、やっぱり大切なのは、地域の幸せじゃなくて、彼ら一人一人の個人の幸せだと思うんですね。
先ほども紹介した轡田竜蔵さんですね、広島県での調査結果について、経済学者のアマルティア・センの潜在能力アプローチというものに注目しつつ、こう言っています。これ、実際のデータに出ていることなんですけれども、地元外での生活経験があって、活動の範囲が居住地域を越えて広がっている人は、生活や人生の自己評価が高い傾向があることが分かったと。地元外の生活経験がない、ずっと地元層について言うと、居住地域以外に世界が広がっておらず、そのためにネガティブな自己評価をしている者の比率が高い、個々人の生活や人生の選択肢を広げるためには、地元、地域を越えた多様な他者との豊かな関係性に開けていることが大切であると言えると轡田さんは言っています。
就労支援ですね、まあいわゆる積極的労働市場政策、まあ働けない人又は低い地位にいる人をアクティベートして労働市場に包摂していくような、そういった政策なんですけれども、これが重要なのは、個人の潜在能力を高め、地域を越えるトランスローカルな力をその人に与えるからだと思うんですね。
先に挙げたように、自分と異なる世界の人たちと出会う機会に恵まれ、視野を広げられていると思うという点において高卒者が劣っているとしたら、トランスローカルな関係性の構築、これが彼らのポテンシャルを引き出す一つの方法になり得るかもしれないです。
ちょっと、もう時間になりましたので、最後にちょっと簡単に説明させてもらいます。
もう一つはキャリアラダーの整備ですね。
本当はここが一番言いたかったことなんですけど、就労支援を幾ら充実させても、その受皿がないと余り意味がないわけです。例えば、この資格を取れ、こういった就労支援をして実際にもう少しお金が稼げるようになると言っても、その資格がいまいち使えないものだとしたら、それは彼らのやる気というか努力主義をくじけさせるような要因になってしまうということで、私が注目したのがキャリアラダーという概念ですね。この概念は、いわゆる低賃金職といわゆるディーセントワーク、そこそこ稼げる仕事の間の、その差の間に、キャリアがないがゆえに実際にキャリアアップすることができないという、そういう問題について考えているものです。
すごい、日本の文脈に引き付けて言いますと、例えば介護と看護の問題があります。看護師足りていません。介護士も足りていません。でも、看護と介護は別建てで資格があるので、介護でどれだけ経験を積んでも看護の方にそのキャリアがつながっていくことがないわけですね。これは、ほかの国だと問題になっていて、ほぼ看護に関しては介護と看護が一本化されています。
そこで、その間に細かいキャリアアップの道を付けていって、先ほどもお話ありましたようなシングルマザーの人が働きながらキャリアアップできるような、そういった仕組みが整えられているわけですので、これ、私、介護と看護の一元化と言っているんですけれども、そういったキャリアアップと賃金の上昇を伴うような、そういったキャリアシステムの整備というものが必要であり、それに関しては政治の役割というものが極めて重要であるということ、就労支援の充実とキャリアラダーの整備、この二つの政策的重要性についてお話ししたところで、私からの報告を終えたいと思います。
ありがとうございます。
○参考人(白波瀬佐和子君) よろしくお願いいたします。
本日はこのような機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。現在進行形で考えていることを含めて、今日お話をさせていただきたいと思います。(資料映写)
題はこれからの日本の在り方ということで、最初に会長の方からありましたけれども、あらゆる人々が参加できる社会を目指してどのような具体的な考え方なり政策の展開の仕方があるのかということで、その検討の際の少し参考になればというふうに考えております。
全体の話の流れということなんですけれども、実は、最初の高田委員のデータは、私のどちらかというとその前提条件というか非常に基礎的なデータで若干重なっていますので、私としては大変有り難いなというふうに考えております。実態把握ということで幾つかデータをお見せして、それはできるだけ早くお見せして、考えていることを中心に話をしたいというふうに思います。
これまでから少し、奇跡的と言われた経済成長ということで、六〇年代、高度経済成長、実は若年層の中にもそういう価値観というのがまだ残っているんじゃないかという話もあったんですけれども、平等社会日本という言説ですね、特に七〇年代終わりから八〇年代にかけてということがあったんですけれども、九〇年代に入る頃になって格差議論が出てきます。
ただ、ここでは大きく二つの流れというか異なる言説がありまして、最初の一億総中流社会の基礎になっているデータは意識調査です。社会を例えば五つに分けるとすると、あなたはどこにいるでしょうかという調査です。その質問に対して大体真ん中ほどという結果をもって、日本の人たちは大体真ん中にいるみたいだというふうに思っていて、不平等を考えていない、感じていないよという、こういう言説が生まれたわけです。
九〇年代に入る頃、格差議論があったのは、これはジニ係数、いわゆる最初の高田委員からもありましたように、全く平等な社会を想定した場合から実際の世の中はどれだけずれていますかというのがある意味のジニ係数の意味なんですね。そのずれをもって比較をして日本というのはどれぐらい平等ですかといったときに、橘木先生の方から、実はそんなに平等じゃなくてアメリカと同じぐらいあるいは高い不平等だよと、こういう話です。実は、その背景にあったのが急激な人口変動、特によく聞かれるのが少子高齢化ということです。
未来の社会の構想ということになりますと、この社会を構成する人々の年齢構成、この年齢構成が人個人のライフステージの位置と連動していますので、六〇年代とは違った多くの人々のライフステージのありようと制度との関係をこれからどういうふうに考えていくかと、こういう議論になってきます。結論から申し上げると、今日強調したいのは、ダイバーシティーという考え方がいかに大切かということであります。
これもよく授業の方でも見せるんですけれども、急激な人口変動ということで、一九六〇年代とそれから四半世紀近くになった二〇一五年のいわゆる中間年と言われている国勢調査の結果なんですけれども、高度経済成長、政策がうまくいった、産業政策がうまくいったというような議論もありますけど、足下のところで非常に潤沢な労働者がいたということ、非常に質の高い労働者がいたということと、社会的に面倒を見るべき高齢者層がこういう形で、赤いところなんですけど、非常に少なかった。それがメタボになりまして、これから現役層に入っていく人たちがすごい小さくなって、上の社会的にも支えなきゃいけない人たちがこんなに多くなりましたよということであります。視覚的に見ても、このような形で非常に世の中の人口の構造が変わってきた。
私も、実は社会学なんですね。言っていることはちょっと違うかもしれないんですけど、社会学を専攻しております。この人口変動というのは非常にマクロな話なんですけれども、それを少しミクロな観点から、つまり個人とか家族の観点から解釈しますとどういうことが起こっているか。これも高田委員の方からありましたけれども、世帯構造あるいは家族類型と言われるわけですけれども、三世代世帯とかよく言われると思うんですが、これ世帯構成ですね、これ世帯構造、これが変化してきて、独り暮らし、夫婦のみ世帯が増えてきたと。
それは具体的にどういうことかというと、平均的な世帯規模が小さくなってきた。これは単独世帯、独り暮らし世帯ということと連動します。この独り暮らし世帯が増えてきたという背景には、高齢者が一人でも暮らせるようになった経済的な背景があるという側面もあります。ですけれども、例えば少子化という観点からすると、日本というのは、結婚ということを契機に自らの世帯を半永久的に持つわけですから、結婚の時期が遅れますと親との同居期間が長くなるわけですけれども、親も高齢化して、親が亡くなると、結婚しないで独り暮らしになると、こういう形になります。
そういう場合の家族規模の縮小というのが一体どういう意味を持つのか。これはマクロ的には、もう年金との関係もあるんですけれども、世代間のアンバランスがありますし、異なる世代の社会的な経験の違いですね、親は自分の生活が豊かになると思って大きくなり、仕事をしてきた、将来の構想もできた。しかしながら、自分の子供を見ると、自分と同じようにはどうも豊かにはなってくれない。実は八〇年代の、もうこれもう九〇年代、ニューヨーク・タイムズにも出ていたんですけれども、いや、よく考えたら、自分の子供たちって決して自分よりも豊かにならないでしょう、これがやっぱり全体の世の中の将来に対する見方を非常に悲観的にします。これが将来への見通しの悪さということにあります。
このようなマクロな、まあ社会的な意識というのは基本的には平均値なので、個人一人一人の幸せ感とか一人一人の満足度とはちょっと違うんですけれども、そういうマクロな意識の塊の傾向が人々の一人一人の生き方の違いと連動しているという、こういうことになります。
これはジニ係数。これは高田先生からもありましたので、この辺りは、マクロな不平等の違いというのは、八〇年代から見ますと確かに右上がりにはなっているんですけれども、それ以降についてはそんなに大きな、マクロのところで急に大きくなったり下がったりとかというのはなくて、全体の傾向というのはある意味では安定的なんですけれども、これを国際比較してみますと、これも高田先生からもありましたように、日本の位置はそんなに低くもないけれども高くもない。これ、スペイン、右側の下の方にジャパンというのがあるんです、右側に近いところにジャパンというのがあるんですけれども、この縦の棒がジニ係数で、貧困率というのに、低い方から高い方でちょっと並べてみたんですけれども、アメリカに近いような形で貧困率もありますねということです。
ただ、貧困率というのは、これは全体の貧困率ですけれども、子供がいる世帯から子供の貧困率を算出したり、高齢者から貧困率を算出しますと、あるいは若年層で貧困率を算出しますと、それぞれ順位が変わってきて、実は若年層の貧困率、二十代から三十代初めですね、貧困率はOECDの中でも比較的高い位置にあります。高齢層については比較的高いというのは既に言われているんですけれども、若年層も高い。
これは、実は所得についてはよく高齢化の格差とともに議論されるんですけれども、所得は世帯を中心に見ています。それは、人々の生活が世帯という一つの消費単位の中で営まれているので、一人一人の若者といっても、世帯主の親と同居していたらその家族の中に入っていると、こういう構造です。
世帯主の年齢分布というのを、向かって先生方の左側なんですけれども、見てみますと、これ九〇年代から二〇一六年ということで、国民生活基礎調査という厚生労働省のデータを研究で貸し出してもらってやった結果なんですけれども、こんな形で非常に世帯の年齢分布が変わっています。
それで、これとともに世帯階層別にジニ係数を見たのが右側で、これも高田先生の結果と一致しているんですけれども、高齢層でジニ係数が下がっている。これはどういうことかというと、やっぱり大きく貢献しているのは全体の社会保障の底上げです。特に、女性の一人暮らしというか、女性の年金権が出てきていますので、貧困層が上がって、かつては七〇%も高かったんですけれども、それが、高いけれども五〇%になっていると。それが全体としては低くなっているという、こういう構造になっています。
ただ、全体としてはジニ係数上がっているということですね。非常に高いところは、若年層で、二十代のところは上がっているんですけれども、それは少子化とともに、この二十代の世帯を形成している世帯主が、全体の晩婚化に比べると、いわゆる統計的にはセレクションバイアスと言いますけれども、誰がこのデータの中に出ているのかといったら、全体の晩婚化の中では若干早く結婚して、自分で世帯を営んでいる人に近い人がここへ出ていると、こういうことになります。これが意識のところで、ちょっと阿部先生からも議論があったんですけれども、一つ強調したい。
これ、きっと面白いだろうなと思うんですけれども、私は面白いと思いました。国際比較研究でミクロデータがあるんですけれども、そこで、自分の父親と自分自身の地位を比べるとどうですかといったときに、大体同じぐらいというのが真ん中ですね。いや、自分の方が地位としては低いよと、対象者は自分自身ですから、自分自身から見てお父さんはということなんですね。この青いラインは、実は日本なんですね。若い人たちは、自分の親よりも自分自身の社会的な地位が低いというふうに言っている人たちが明らかに多くなっていますという。この結果についてはこういうことです。ただ、どういう人たちがこうなのかという細かい分析までは今回は持ってきておりません。
今、全体の格差ということでは、世帯規模の縮小と貧困率の違いとか、それと未婚化、晩婚化ということで、未婚の子供がどこにいますかということをちょっと持ってきたのが右側なんですけれども、やっぱり、年齢が高い未婚子ですね、結婚していない人たちが親と一緒に暮らしているという割合はどんどん増えていますので、特に男性の方で増えていると。実は、高齢層で、その子供も高齢な、もうなっているんだけれども結婚していなくてという人たちは、貧困層というか、経済的な困難度としても非常にリスクは高くなっているという、こういうことです。
これは、高齢層として、その背景的にどういうことが言われるかといったら、これはもう資本ということと連動するんですけれども、全体がやっぱり自分自身の生活は社会的な移転、代表的には年金ですね、これでもって生活している人がどんどん多くなりますよというのが向かって右側のラインです。ですから、全体の格差なり経済的な不平等度を見るときには、自分の雇用の、収入だけではなくて、社会的な移転ということもより考えなくてはいけないということと、資本という点では、これも既に高田先生からも言われているんですけれども、自分の所得だけということになると、働いている人たちがどんどん少なくなりますので高齢層は収入、所得が下がります。
ただ、蓄積という点では、平均値ですけれどもかなり上がる。ただ、高齢層の中でもゼロ貯蓄という人たちが一割以上、その割合は高くなっておりますので、そういう意味では資本を入れた形で、ストックを入れた形で全体を見なくてはいけない。ただ、自分の蓄積、貯蓄の額が多ければ大きいほど実は親から遺産を継承したという割合が多くなっているというのが向かって左の調査結果であります。この辺りはもう基本的なところですので、データですので、もう御存じのところであります。
ですから、社会的、特に年金、医療というところで社会的には非常に、これを負担というのかどうかということもありますけれども、社会保障給付費が上がっていると。
これもライフステージの話なんですけれども、再分配というところでは全体としては若干改善されているんですけれども、それは社会保障制度の再分配効果が高齢層に偏っているので自然増している部分もあるんですけれども、これがより具体的なところで、やはり高齢層の再分配効果にかなり偏った形で社会保障制度が形成されていて、これはその他の福祉というところとよく議論されるんですけれども、若年層を社会保障制度の中でどう入れ込んでいくのか。今までは現役層と高齢層という形で世代間の再分配ということがあったんですけれども、なかなかそれだけでは立ち行かなくなっているよということ。
そして、現役層の意識という点では、実は現在の方が苦しいよと言っている人の割合が増えていて、その背景には、例えば自分の子供、成人してうちにいるというケースが増えていますので、その被扶養者が同居するということが結局自らの暮らし向きを悪くしているということです。
それで、結局、ここまで来て何を言いたいかということなんですけれども、やはり日本というのは、これも議論があったんですけれども、世帯との構造、あるいは家族との関係で形成されてきたという部分がありまして、特にそれは前提条件としてあったんですね。その前提条件として、それが標準型家族とかって言われているんですけれども、ポイントは、前提が崩れたときにその前提を補完するような制度形成になっていない、つまり前提が崩れたらそのまま制度のアクセスがなくなってしまう、これは転げ落ちる社会というふうにおっしゃった方もいますけれども、そういう社会になっていますよということです。様々な家族があり、様々な生き方があるということを制度設計の中で入れなくてはいけない。
それは、例えばイギリスなんかだと、独り、シングルが増えているからということなんですけれども、さて、このときに、じゃ、どういう意味でダイバーシティーかということなんですが、多様性とか誰も、あらゆる人々ということが一つのキーワードなんですけれども、多様化というのは、全ての人が多様ということをランダムに考えても、それはやっぱり現実的にはならない。やっぱり、少数派、マイノリティーの方々がどういうような生活をし、どういうような問題があるのかということを共有して初めて多様化の議論ができるということです。
ですから、多数派のための多数というわけではなくて、そういう意味では、高齢化しますので、高齢層にとっての議論というのがある意味では自然な流れになると困る。つまり、若年層というのは、全体的に少なくなっている人たちの生活状況なので、この若年層の人たちを未来どういうふうに一緒に良くしていくかということは、まあ少数派というところでの意識的なウエートの掛け方ということで重要になるのではないかということであります。ですから、そういう考え方を持って初めて違うということが、要するに、世の中にとってどれだけ不利でなくするべきなのかという議論ができてくるのではないかと思います。
ですから、世の中が様々であろうということは自然には分かりません。意識的に知ろうとしないと駄目だということですので、その事実に自らの手を伸ばすということがまず大切になってきて、この手を伸ばすという行動の背景にある考え方なり学術的な背景がいわゆる人文社会的な学問体系であり、まあそれは、科学の必要性というのはここに出てくると思います。
自分の生活圏というか、社会学の中で社会階層論が専門なんですけれども、そこでの基本は実際の実体験の生活って物すごくやっぱり限定的だということですね。安易にその一つのイメージで語ろうとしてしまうと。ですから、自らの生活というのが意外と同質的だということを意識的にすることによって、それ以外の生活圏に対して想像力をたくましくするということが非常に重要ではないかと思います。
やっぱり、貧しかった、国としても貧しいときには目標をある意味で立てやすい環境もありましたし、その目標に向かって走り得たという事実もあるんですけれども、多様であるということに対して寛容である余裕もなかったし、そういう社会ではなかったと思います。過去を否定するつもりはなく、その過去は、やっぱりある意味で他国に達成できないような達成を日本はやってきたという歴史はあると思うんですけれども、さて、これから市場も日本の中でグローバル化します。これは学生たちにも言っているんですけれども、競争相手は自分と同じ国籍を持っている人たちだけではないと。そうしたときに、自らの考え方をいかに理解してもらい、その自らの考え方の優位性を説明、納得させるためには何が必要なのかというのがやっぱり考える必要があるのではないかということであります。
ですから、日本が多様であるということに対して寛容でなかったという事実はやっぱりこれから改めるべきであるし、多分、積極的にこれからの時代を勝ち抜くためには非常に大切なインフラになってくるんじゃないかと思います。
以上です。
○岩渕友君 日本共産党の岩渕友です。
三人の参考人の皆さん、今日は本当にありがとうございます。
まず、高田参考人にお伺いしたいんですけれども、今日御説明いただいた資料の中に、正社員と非正社員の格差というところで非正規雇用比率の紹介がグラフでされているんですけれども、このグラフの中で十五歳から二十四歳の学生は低下ではなくて増加しているというふうにあるんですけれども、同時に、その後の方の資料で、教育に関する政策という部分で高等教育の教育費が高いというお話があったと思うんですけれども、要するに、十五歳から二十四歳の学生が働いていると、それが増えているということと高等教育の教育費が高いということが影響しているのではないかなというふうに思うんですけれども、どのようにお考えかということと、あと、教育費が高いということで、支援が脆弱だとあるんですけれども、その支援をもっと充実させるとか加速させるということが必要かなと思うんですが、どのようにお考えでしょうか。
○参考人(高田創君) どうもありがとうございます。
先生が御指摘いただいたのは、この十四ページということでよろしいんでしょうか。そこの十四歳から二十四歳の学生と六十五歳を除く数字のところが出ておりますけれども、そこのところを、我々ここでは除いたやつを入れているということなので、その十五歳から二十四歳のところを包括した議論にはここではなっていないんですけれども、ということでよろしいんでしょうか。
○岩渕友君 増えているということかなと思ったので、そこが要するにいわゆる高等教育の部分に当たるのかなというふうに思ったので、後の資料の中にその高等教育の費用が非常に高いというところがあって、その高いことといわゆる学生の皆さんが非正規で働いているということとの関係が何かあるのではないかなという問題意識があって、先生がどのようにお考えかなということなんです。
○参考人(高田創君) 特に、その十四ページの左側のところにございます非正規の雇用の比率のところの十五歳―二十五歳のところの議論とそれから最後の三十二ページのところと、私自身は余り関係付けて考えていたわけではございません。
ただ、一つ言えますのは、この三十二ページのところにありますように、日本の場合、その教育費高いけれども、やっぱりまだ支援が充実していないというところだろうと思うんですね。先ほど先生方のところにもありましたように、日本の場合、どうしても高齢者のところには比較的再配分が行くんですけれども、やっぱり現役世代のところ、中でも若年のところにどうしてもという部分の、やっぱり大きな部分が教育のところではないのかなと私思っておりましたので、そういう意味でいいますと、非正規かのところで関連付けられるかといいますと、先生の御指摘のように、私も余りそこのところは余り考えていなかったわけなんでありますけれども、やはり若年層の教育というんでしょうか、またその負担のところというのはやっぱり結構重いのではないかなと、そんなふうに私考えた次第でございました。
○岩渕友君 ありがとうございます。
いずれにしても、参考人がおっしゃったように、支援をもっと充実させる、進めていくということは私も必要なことだというふうに思っています。
次に、阿部参考人にお伺いをするんですけれども、参考人の資料を事前に読ませていただいたんですけれども、地方に暮らす若者たちの話、今日も話ありましたけれども、その漠然とした不安感があると、その具体的な形となってその漠然とした不安感が表れているということで、その最たるものが雇用における質の悪化だというふうに述べておられるんですね。
先ほどもこの雇用の質ということが話題になりましたけれども、この質を向上させるということが社会全体の利益につながるというふうに思うんですけれども、参考人がどのようにお考えかということと、その雇用の質の向上ということを個人に任せるということではなくて、若者が安心して暮らせるように守り支える仕組みをつくる必要があると思うんですけれども、その部分はどのようにお考えでしょうか。
○参考人(阿部真大君) 御質問ありがとうございます。
いわゆるブラック企業の問題というのは今すごく大きくなってきていると思いますけど、やはり雇用の質を上げるということはすごく大切で、もちろん働けない状態というのは社会的なコストとなって跳ね返ってくるわけで、そういった意味では、何というのかな、なるべく働けない人たちをアクティベートしていくというか、そういった支援というものが必要だと思います。
特に雇用の質ということに関して言いますと、例えば今、自営業が物すごく減っていますし、いわゆる産業がサービス化する中で、いわゆる大資本のサービス業というのはすごく増えているわけですよね。意外と、いろんな方が指摘されているんですけど、そこで求められるコミュニケーション能力というのは、すごく底辺の労働であっても結構高いと。そういった意味で、昔みたいに、何というのかな、ちょっとやる気があればうちで働けばいいよという、そういう働き場所というのはどんどんどんどん減ってきていると思うんですよね。
そういった意味では、昔と比べて、働くということの敷居が若干高くなってしまっている部分があって、そこを埋めていくという意味では、働きづらさを感じている人、働けない人、でもそれは社会的コストとなって降りかかってくる、でも実際働くという部分の壁というのが以前に比べて高くなっている、その間をやっぱり政策的に縮めていく、半福祉半就労ということを最近よく言われるんですけれども、そういった中間的な就労みたいなものを増やしていくことによってなるべく労働を通じた包摂というものを進めていくということが大切かなという気がします。
就労支援というとどうしても、最後におっしゃったように、個々人頑張れということになると思うんですけど、現場の話を聞いていると、せっかく頑張って就労支援をして働ける状態に持っていったのに、実際職場に行ったらその職場がひど過ぎてまた戻ってきちゃったよという例はすごく多いんですよね。それって本当に無駄だと思うので、就労支援というものに、個人をアクティベートするという、その個人に対する支援と、あと、やっぱり労働供給側だけじゃなくて労働需要側に対するてこ入れというものもやっぱり同時に働き方改革ではやっていただきたいなというふうに思っております。
よろしくお願いします。
○岩渕友君 ありがとうございました。
次に、白波瀬参考人にお伺いをしたいんですが、今日、多様性というお話があって、それで、女性の社会参画を進めるということもその多様性の確保にとって必要なことだというふうに考えるんですね。ただ一方、働く女性たちが六割は子供を産むと退職するような状況もあるということで、女性の働き方を変えるということが多様性の確保にもつながるのかなというふうに思いますし、同時に、子供の貧困問題であるとか、あと高齢期の経済問題の解消なんかにもつながるのではないかなというふうに思うんですけれども、女性が働き続けるために政治が果たす役割、どんな役割を果たすことが必要かということでお考えのことがあれば教えてください。
○参考人(白波瀬佐和子君) ありがとうございます。
女性の働き方というのは恐らく男性の働き方と非常に密接に関連していると思いますし、ただ、最近は六割ではなくて過半数以上が子供を産んでも育休を取って働くようになっていて、どうもかなり最近急激に変わりつつあるというふうには思っています。ただ、今おっしゃったように、女性は子供を産んでちょっと休んでまたパートでいいよねということではなく、男子も女子も同じように教育機会を得ていて、高等教育を得てというような状況においては、同じような機会を提供してあげる意味はすごくあると思うんですね。
そういう意味で、今まで女性としての生き方という、それは逆に言えば男性としての生き方も同じなんですけれども、限定的なチャンスしかそれぞれのジェンダーに付随していなかった現状がありますので、その過去を鑑みて優先的に男女間のアンバランスを解消しようと思うのであれば、かなり、時限付きでもしようがないんですけれども、やはり優先的登用。つまり、目指すところは、できるだけバランスのいい、できるだけいろんな人が参画できるような状況を目指すのであれば、自然にはなりませんので、サイズが必要ですから、そういう意味では過渡期的には無理をして上に上げなくちゃいけないという状況もあるかと思うんですけれども、そういうやっぱりいろんな人たちがいることの意味は、最終的な意思決定のときに様々な価値判断を入れることができる環境を要するに保障しておくということですね。
ですから、いろんな生き方なり、いろんな子供を持つあるいは介護が必要な親なり親族を持つという状況の人たちも同じように最終的な意思決定の場に参画していただくというのが目標値としてはあるので、そのためには、優先的に登用し、優先的に配慮をする状況も政治的にはコレクトというふうにしていただくのが一番いいかなと思います。
以上です。
○岩渕友君 ありがとうございました。
○岩渕友君 日本共産党の岩渕友です。
国民生活・経済に関する調査で、「あらゆる立場の人々が参画できる社会の構築」のうち、三年目の「豊かな国民生活の実現に向けた環境の整備」をテーマに行った参考人質疑を含め、二〇一七年から行ってきた三年間の調査を踏まえて意見表明を行います。
あらゆる立場の人々が参画できる社会の構築にとって、参考人の皆様から御意見を伺って、政治が果たす役割の重要性について認識を深めてきました。一年目の「経済・生活不安の解消」でも、二年目の「豊かな国民生活の実現」でも、この三年間を通して重要性が確認されたのが住まいの確保です。子供、若年者、高齢者、障害者など、どの立場の人にも共通して関わる問題です。
参考人からは、日本居住福祉学会が、住居の質を保証することによって社会保障やサービスが成り立っているとして、住居は福祉の基礎とうたっていることが紹介をされたように、住まいは人権であり生活の土台です。格差の解消のためにも住まいの確保が重要です。
さらに、住まいの質の確保も必要です。そのためには、住宅政策での公的責任を高める必要があります。公的住宅を増やす、家賃補助制度をつくるなど、住まいを保障する立場で政治が役割を果たすことが求められています。
雇用をめぐる問題についても参考人から多くの御意見をいただきました。
非正規雇用の増大や低賃金、長時間過密労働の常態化、ブラック企業、ブラックバイトの横行など、雇用状態が悪化していることが格差を広げる原因になっています。
参考人からは、同一労働同一賃金、賃金の引上げに加えて、労働条件の早急な改善、残業時間に厳しい上限を設けるルールづくりなど、働く側に立った対策が必要だとの提案がありました。
地域間格差の現状と課題でも取り上げたように、再生可能エネルギーへの転換の重要性についても確認をしてきました。
参考人からは、原発事故を経験した日本こそ再生可能エネルギーへの転換が必要だとして、特に地産地消の再生可能エネルギーへの転換が強調をされました。地産地消の再生可能エネルギーは、地元の中小企業の仕事や雇用に結び付き、地域経済が循環し、地域活性化するということで、格差と貧困の克服にとっても大きな役割を果たすものだということが確認できました。
あらゆる立場の人々が参画できる社会の構築の土台には憲法二十五条があります。憲法二十五条が定める健康で文化的な最低限度の生活を営む権利をどう保障していくのか、政治の責任が問われています。
三年間を通していただいた御意見を格差の解消、様々な課題の解決につなげるため今後の国会審議に生かしていきたいということを述べて、意見表明といたします。