2022.02.24

ともに築いてゆく、友といっしょに。  福島県農民連会長・根本敬

参院選公示日(2016年6月、福島駅前にて)

 日本共産党福島県委員会事務所に岩渕友議員のポスターが張ってありました。吹雪の中、こちらをやさしい目で見つめる岩渕友。そのタイトルが「東北のジャンヌ・ダルク」。いつ作られたポスターかは定かではありませんが、あの原発事故で未曽有の困難に直面している私たち福島県民にとっては、決して「大袈裟なタイトル」ではなかったのです。
 2016年、その時が来ました。岩渕友参議院議員の誕生です。参議院福島選挙区では、野党共闘で現職大臣を破り議席を獲得しました。福島駅東口中合デパート前で撮った写真は私のお気に入りです(本人はどうかわかりませんが…)。
 岩渕友参議院議員がいなければ、原発事故にあえぐ福島をこれほどリアルに国会で議論できただろうか。2011年4月26日から始まった、福島県農民連の政府・東電交渉は30回を超えて現在も続いています。その交渉すべてに岩渕友議員の姿があります。国会での交渉場所の確保や各省庁・東電との事前打ち合わせには岩渕友事務所の方々の多大なる協力を得られなければ続けることも困難だったと思います。


劫初ごうしょよりつくりいとなむ殿堂に われも黄金こがねの釘一つ打つ

 これは、与謝野晶子の歌です。46年前に福島第二原発設置許可の取り消しを求めて地元住民400余名が国を相手に起こした行政訴訟の弁護団共同代表・安田純治さんが、生業裁判仙台高裁勝利判決を受けての一文に寄せたものです。そして、こう述べています。

 46年前の訴訟提起以来、変人、奇人扱いされ、故郷に弓引くとまでそしられた地元の原告たち、そして裁判所からまで愚民扱いされた側に属する私としては『それみたことか』と、先見の明を誇ってもおかしくなかったはずだが、何故か、全くそんな感情は湧かなかった。(松谷彰夫『裁かれなかった原発神話 福島第二原発訴訟の記録』かもがわ出版 2021年)

 「原発即時ゼロ」の実現は、そうたやすいことではないかもしれない。でも、半世紀の間、原発に異議をとなえてたたかった人たちが福島にいました。いまもいます。原発・核のない世界(殿堂)をつくりあげるために、私たちは、新たな黄金の釘をひとつずつ打ち続けなければなりません。そこに、「ふくしまのジャンヌダルクー岩渕友参議院議員」が不可欠です。

 岩渕友Twitterを拝見しています。お願いがあります。「活動」の報告は当然ですが、その土地土地での食べ物・風景、ちょっと気づいたことなども織り交ぜていただければ…。
 もう一つは、そんなに「日本共産党」に共感を持っていないであろう方々との「交流」を増やしてほしいですね。「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言」したのですから。